深掘り「石油の一滴は血の一滴」 ホルムズ危機が突きつけた日本の「急所」中島嘉克 福地慶太郎 伊沢友之 デザイン・松本春乃印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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日本の原油輸入の9割超が通ってきたホルムズ海峡は、中東で緊張が高まるたびに封鎖の恐れが語られてきた。2月末、米国とイスラエルがイランを攻撃したことを受け、日本経済を支える「チョークポイント(急所)」はついに機能不全に陥った。2度の石油危機を経てもなお、脱中東依存が進まなかったのはなぜか。今回の危機が投げかける教訓とは――。世界経済の「結び目」チョークポイント 連鎖する危機、日本の針路は 「本当に封鎖されるとは考えていなかった」 ある資源エネルギー庁の元幹部は、取材にそう証言した。 リスクを知らなかったわけではない。1970年代の2度の石油危機後、政府は中東依存の危うさを認識し、原油調達先の多角化を模索した。 だが、第1次石油危機が起きた73年当時、田中角栄首相の秘書官だった小長啓一(95)は「資源量やコストの面から見て、中東に匹敵するようなソース(供給源)は見つからなかった」と説明する。 79年には第2次石油危機も起き、日本はエネルギー安全保障の脆弱(ぜいじゃく)さを突きつけられた。原油調達先の多角化に、後に通商産業省(現経済産業省)事務次官となる小長も深く関わった。 中国やインドネシアからの輸入を増やすとともに、南米やオーストラリアでの資源開発の可能性を探った。73年度に77.5%だった原油輸入の中東依存度は87年度に67.9%までいったん下がった。 だが、小長は早い段階で限界も感じていた。「脱中東」より「親中東」 中国やインドネシアは経済成…この記事は有料記事です。残り2452文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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この記事を書いた人中島嘉克経済部|経済産業省担当専門・関心分野デジタル、産業政策福地慶太郎経済部|経済産業省担当専門・関心分野原子力、福島第一原発事故、生命科学関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする