「坂出人工土地」に込めた建築家・大高正人の思い 藤本昌也さん語る福家司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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約1万平方メートルもの「人工地盤」の上に市営住宅、下に商店街などがある「坂出人工土地」(香川県坂出市)。建築家・大高正人(1923~2010)が手がけ、完成から40年を迎えたこの街は、今もなお多くの人を魅了し続けている。 大高は坂出人工土地にどんな思いを込めていたのか。着工前から大高のもとで約10年間、設計に携わった建築家の藤本昌也さん(89)=山形県新庄市=に当時を振り返ってもらった。未来都市と呼ばれた「坂出人口土地」40年 魅力今も、課題は耐震化 ――人工土地のアイデアのきっかけは。 終戦から10年余りを経て、日本中の都市では空襲の焼け跡にできた不良住宅の密集地の再生が大きな課題になっていた。通常は自治体などが土地を買って公営住宅を建て、表通りに面した商店街には防火壁の役割を果たすコンクリートの建築を義務づけた。いわば防災街区への再生だ。 その計画を大高が見て、二つの事業を一体でやる「立体街区」のアイデアを建築家の槇文彦と共同で出した。人工地盤に住宅を上げ、下に町の劇場、商店街、飲み屋街、駐車場も造る。要は街の一体化だ。 ――なぜ四国の一地方都市である坂出に。 世界的な建築家・丹下健三の右腕として活躍した、香川県にゆかりの深い建築家・浅田孝の役割が大きいと思う。浅田は、建設省(当時)から人工土地の研究を委託された日本建築学会の部会長を務めており、当時の坂出市の建設課長だった番正辰雄(後の坂出市長)に声をかけたようだ。番正も事前にまちづくりを相談していたのではないか。 ――設計に関わった経緯は。 大学院生時代の1960年に東京で開かれた世界デザイン会議に向けて、菊竹清訓、黒川紀章らが新陳代謝する都市のイメージを「メタボリズム」と提唱して、脚光を浴びていた。 このグループに参加した大高…この記事は有料記事です。残り1270文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






