花火の夜、よみがえる岐阜空襲の記憶 戦死の父に見せたかった平和高原敦印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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岐阜市の夏の風物詩、長良川の花火大会が8日夜に開かれた。川のそばにある現正寺(岐阜市矢島町)の住職の高木慈興さん(96)は花火を見上げると、ふと81年前の夏を思い出すことがある。太平洋戦争末期に市街地を焼き尽くした岐阜空襲の記憶だ。 旧制中学の生徒だった1944年、先代住職だった父・慈雲さん(当時44)がフィリピン・レイテ島に少尉として出征した。 同じ頃、サイパン島が陥落。アメリカ軍は現地に飛行場を建設して、そこから飛び立った大型爆撃機B29が日本本土に空襲を始めた。現在の各務原市にあった陸軍の飛行場なども標的になった。 空襲警報が鳴り響く度に高木さんは堤防に逃げた。あちこちの街が燃えているのが見えた。後で消火しやすくするため、空襲時はどの家も天井板を外し、窓や雨戸を開け放った。 そして45年7月9日夜、岐阜市を狙った大規模な空襲が始まった。境内の防空壕(ごう)に母と避難した。 「焼夷(しょうい)弾が家に落ちないか、防空壕からのぞき見ていました。(周囲が)燃える火の明かりで家の中がよく見えました。不気味な光景でした」 街が燃える煙が一帯にたちこめ、本堂すら見えなくなった。「怖かったです」。思わず防空壕から逃げようとしたが、踏みとどまった。母に抱かれたまま亡くなった幼児 寺は焼損を免れたものの、2…この記事は有料記事です。残り1216文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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