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1945年7月9日。「今夜、仙台に大空襲がくるらしい」 仙台市の国分町に住んでいた相原久子さん(当時10)は父からそう聞いた。相原さんの家は銭湯だった。一般の人は知らないことだったというが、「いろんな人がお湯に入りに来ていたから、そういう情報を持っている人もいたんでしょう」。何もなくなった国分町のまちの姿 その夜、空襲警報が鳴り響き、隣の町内会にある、西公園近くの大きな横穴防空壕(ごう)に家族で逃げた。「普段は家の防空壕に入るけど、この日は大きな空襲とわかっていたから最初からそこに逃げました」。100人を超える人が次々に入っていった。 押すな押すなと言っている間に、「ドカーン!」という音がした。爆弾が、たくさん落ちてきているのが防空壕の中からわかった。 明け方になり、外に出て最初…この記事は有料記事です。残り960文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人川西めいこ仙台総局|事件・事故専門・関心分野ジェンダー、性暴力、選挙、若者の政治参加関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






