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世界を席巻したシンガー・ソングライター、ピコ太郎さんの「Pen-Pineapple-Apple-Pen」(PPAP)がYouTubeで公開されてから8月25日で10周年となる。ピコ太郎さんのプロデューサーでお笑い芸人の古坂大魔王さん(53)は、「ピコ太郎が世界で売れたのは、8、9割は『TR-808』のカウベルの音のおかげ」と話す。ピコ太郎がステップを踏むたび「ポーン!」と鳴る、ちょっとコミカルな電子音。それがなぜ、ヒットに貢献したのか――。 TR-808はローランドが1980年から2年間だけ生産し、国内外で発売した電子楽器。バスドラムやコンガ、ハンドクラップ(手拍子)などの音を、自分で好きなパターンで鳴らせる「リズムマシン」だ。ヒップホップやテクノなどの発展に貢献したほか、マーヴィン・ゲイやYMOなど多彩なミュージシャンが使ったことで世界的に知られる。また、日本では「ヤオヤ」という愛称でも親しまれている。ピコ太郎さんのプロデューサーでお笑い芸人の古坂さん「僕は音オタク」 ――「PPAP」がこれだけ世界で人気になった背景を、どう分析していますか? 僕はテクノが好きな「音オタク」です。新しいシンセサイザーを買うと、音色を作るだけで一晩終わっちゃうほど。ピコ太郎が世界で売れたのは、8、9割は「TR-808」のカウベルの音のおかげだと思っています。 808はピコ太郎のコアな要素の一部となり、シグネチャーサウンド(象徴的なサウンド)になってくれました。いま、海外メディアが808を特集する時、(ともに808を先駆的に楽曲に使ったことで世界的に知られる)YMOやアフリカ・バンバータと一緒にピコ太郎の映像も使ってくれるんですよ。未来の音だったTR-808 識者が語るテクノ、ヒップホップの影響世界に衝撃与えたリズムマシンTR-808 開発者は「当初は酷評」YMOの挑戦支えたヤオヤって? 「第4の男」松武さんが名機を語る感謝も込め、昨年夏から1年かけ「80.8曲」をリリース 「ありがとうございます」という気持ちと愛を伝えたくて、昨年8月25日から1年間かけてピコ太郎が80.8曲をリリースするプロジェクト「Tottemo Release 80.8」をやってきました。5月には「We Love 808」という曲も出しました。9月27日に開催されるピコ太郎の約10年ぶりの単独ライブでも披露する予定です。 ――なぜ、808のカウベルの音を使ったんですか? 実は、もともとは「リスペクト」して使っていたわけじゃないんです(笑) 「PPAP」のトラック(楽曲)そのものは1997年にはできていました。自分がいたお笑いグループ「底ぬけAIR-LINE」で、自作曲を使って、子ども番組のような設定のシュールなコント「テクノ体操」を作りました。808の実機は持っていなかったので、別のローランドの機材に入っていた808のカウベルの音を入れました。カウベルの音は「かわいくてチープ」 最初は「ウケるため」だった なぜかというと、かわいくて、本物のカウベルと似ても似つかないほどチープで、間抜けな音だったから。「ウケるため」に使ったわけですね。 しかもこの当時はもう、「808使っているの? ださい!」っていう時期でした。だからこそ使った。人があんまり使っていない音っていう意味で使ったんです。 ――92年にお笑いグループ「底ぬけAIR-LINE」で芸人としてデビューされました。音楽を作るようになったきっかけは? 子どもの頃からお笑いとプロレスが好きでした。周囲は「お笑い好き」と「音楽好き」の派閥に分かれていて、お笑い好きはモテないけれど、音楽好きは「陽キャ」で「1軍」でヤンキー。それに僕はずーっと反発していました。「オレはボンタン(裾の幅が広いズボン)も履かないし、バンドもやらねえ」って。バンドに嫌悪感がありました、格好いいから。僕は格好いいものから離れたい。お笑い好きですから。 でも、好きだったのは(音楽活動もしていた)ドリフターズやとんねるずだし、プロレスにも「猪木のテーマ」や「長州のテーマ」がある。どちらにも音楽がつきものです。やっぱり興味があったので、セガのゲーム音楽を聴き始めました。ゲームで使われる電子音は、楽器がどんな形をしているか想像できないんです。「ピコーン!」とか「チャチャチャチャ」とか。何だこれ!と。 僕は想像がつかないものが好きなんですよ。シュールレアリスムの絵も、「ハイスクール!奇面組」とかのヘンテコなマンガも好きだし。流行しているものではなく、その裏に行く。 ――音楽制作を始めたのはいつでしょうか。 音楽を作り始めたのは、生まれ育った青森県から東京都内に出てきてすぐ。19歳くらい(1992年ごろ)の時でした。 「音を使ったお笑い」が好きで、「今すぐお笑いライブで使う音が欲しい」と思って仕方なく。「ドンタン、ドンタン」っていうリズムが欲しくて、最初にリズムマシンを買ったと思います。テクノを流すクラブに行くようになりました。音オタクの人たちしかいなくて、誰もナンパなんかしない。スピーカーの前で持ってきた機材を見せ合っていました(笑) 808は当時、渋谷の中古楽器屋さんで20万円くらいで売っていました。「うえー、たけえなー」って。 ――「PPAP」の原型となった「テクノ体操」はどんなふうにできたのですか? 当時所属していたのが小さい…







