急に具合が悪くなる 「魂分け合い」互いに寄り添う2026年8月1日 8時00分文 映画コラムニスト 重松恵梨子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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シネマパラダイス 哲学者・宮野真生子さんと、人類学者・磯野真穂さんによる同名の往復書簡を、濱口竜介監督が映画化した本作。進行する病と向き合う宮野氏と、その歩みに伴走した磯野氏との言葉のやり取りをつづった原作が、映画では日本人の真理とフランス人のマリー=ルーという2人の女性の物語として再構築されています。 彼女たちは、出会って間もなく、言葉を交わしながらパリの街を歩きます。これまでのあゆみ、その中で学んできたこと、今悩んでいること。そして、不治の病であるという真理の告白に続く死生観。原作で、宮野氏と磯野氏が、「魂の分け合い」と表現した特別な関係が、映画でも紡がれていきます。 映画化にあたって、付け加えられた新しい要素が二つあります。ひとつは、認知症患者をモノとして扱うことなく、人間らしさを尊重する「ユマニチュード」というケアの技法。そして、もうひとつは、イタリアですべての精神病院の廃絶に成功した、精神科医のフランコ・バザーリアのエピソード。 社会という大きな流れの中では、効率化を重視するあまり、人を人として扱うことがないがしろにされることがよくあります。映画でも触れられている過労死や、資本主義という社会構造が引き起こす戦争もそうでしょう。ユマニチュードも、フランコ・バザーリアの行いも、その大きな流れに抗(あらが)い、個人の個人性を守ろうとするもの。 それは、「私はがん患者だから」と諦めることなく、最期まで哲学者としての思考を止めなかった宮野氏と、言葉を紡ぐ彼女を尊重し、全力で寄り添った磯野氏の姿に通じます。 国籍、人種、性別、思想、障害、病など、あらゆるカテゴリーの中に人を押し込め、一気に流れていこうとする社会構造の中で、私たちが自分自身であり続けるためには、彼女たちのように踏ん張り、流れに抗い続けなければなりません。 それはとてもエネルギーのいることで、1人では到底無理でしょう。だからこそ、誰かの話に耳を傾け、心を開き、互いに寄り添い、支え合うことが不可欠です。今の社会構造が前提にあるのではなく、そういう風にしか生きられない人間という生き物がこの世界には先に存在している。そのことを忘れてはならないのだと思います。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする