インタビュー構成・山中由睦印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする【動画】被爆者の大橋和子さんと元乃木坂46の和田まあやさんが「傷」をテーマに対談=林敏行撮影

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海水浴場で撮った写真は、顔の左半分を自らハサミで切り取った。好奇の目や偏見に苦しんだその傷は、81年たった今も消えないままだ。傷つくとはどういうことか。SNSでの中傷も経験したアイドルグループ「乃木坂46」の元メンバー・和田まあやさん(28)が、広島の被爆者を訪ねた。 《広島県福山市で生まれ育った和田さん。小学生のときに授業で広島市の平和記念資料館を訪れ、原爆について学んだ。だが、13歳で乃木坂46に入って上京すると、こうした機会は減った》 和田 広島出身としては原爆は身近なテーマだけれど、世代としてはどうしても昔のこと、遠いことに感じてしまうのも事実です。 《1945年8月6日。当時12歳の大橋和子さん(93)は、爆心地から1.5キロの場所で建物疎開の作業中だった。「飛行機よ」。友人の声で空を見上げた。ピカッ。強い光が目に入り、そのまま爆風で吹き飛ばされた》■現代ならではの傷も記事の後半では、SNSの中傷などによる傷についても話し合います。 大橋 のどの渇きを覚え、橋のたもとの水たまりに近づきました。手で水をすくおうと思って、水たまりをのぞき込むと、水面に自分の姿が映った。顔がパンパンに腫れて、目、鼻、口がどこにあるかわからん。爪の先から皮膚が垂れ下がり、ショックで気を失ってしまいました。 和田 学校の友達とおしゃべりしていた12歳が、一瞬でそんな残酷な状況になってしまう。想像すると胸が張り裂けそうです。病院にはすぐに行けたのですか。 大橋 行けません。まともに歩くことはできんし、運んでくれる人もおらん。道に転がった遺体をトラックが荷台に積んでいて、倒れとった私も運ばれそうになりました。塗りつぶした卒業写真 《赤く変色した左側の顔、皮膚が引きつった首。何年たっても、ケロイドは消えなかった》 大橋 人に見られないよういつもうつむき、写真を撮る際は顔の左側が写らないよう左を向いて。中学の卒業式で撮った集合写真は、自分の顔をペンで黒く塗りつぶして。高校の時に海水浴で友人と撮った写真も、泣きながら顔の左側をハサミで切って捨てました。自分の顔が嫌で嫌で仕方がなかった。 《その傷は81年経った今も、大橋さんの体に深く刻まれている》 大橋 顔のケロイドは薄くなったけれど、当時はとても直視できなかったね。この顔で過ごしたんよ、81年ずっとね。よく見てください。 和田 こうやって目の前で傷を見ると、言葉にならないです。大橋さんがどれほど悔しい思いで生きてこられたのか。原爆がいかに残虐で、恐ろしいものか。これまでできなかった、一歩踏み込んだ想像力が働きます。 《ただ、大橋さんが最も苦しんだのは、傷そのものよりも、傷を持つ大橋さんへの偏見だった》生き残った後悔、一つの出会いが転機に 大橋 18、19歳はきれい…この記事は有料記事です。残り1735文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人山中由睦広島総局|政治、経済専門・関心分野地方政治、地域医療関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする