インタビュー「国々の興亡」決するエネルギー安保 船橋洋一氏が読み解く中東危機編集委員・江渕崇 専任記者・藤田直央印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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アメリカとイスラエルによるイラン攻撃で始まった中東危機は、物価高や円安など日本に深刻な影響を与えている。戦後の教訓をふまえてどう対応すべきか。1970年代の石油危機など日本が直面した数々の危機を取材し、近著「戦後敗戦」を問うた元朝日新聞主筆で、ジャーナリストの船橋洋一氏に聞いた。日本よ、もっと円安を恐れよ 船橋洋一氏と振り返る経済「戦後敗戦」 ――1973年、第4次中東戦争を機にアラブの産油国が石油価格を引き上げ、第1次石油危機が起きました。 「通産相だった中曽根康弘氏(後の首相)は、司馬遼太郎の小説を引き合いに、日露戦争での勝利と戦後の高度経済成長を重ね合わせ『坂の上の一朶(いちだ)の雲を見つめて、脇目もふらずに走り上がってきた。しかし石油危機によってそれは終わったのだ』と語っていました」 「日本はエネルギー資源に乏しく、海路で輸入するシーレーンは長く、国際環境の変化に脆弱(ぜいじゃく)です。米国の国際政治学者ブレジンスキーは石油危機の前年、そんな日本の地経学的な問題点を著書『ひよわな花・日本 日本大国論批判』で指摘していました」 「石油危機は日本にとって戦後最大の地経学的な危機でした。そうした意識を政府も国民も持ち、石油危機から学んで次の発展モデルへと踏み出すため、さまざまな取り組みを進めました。石油備蓄の積み上げや産油国への直接投資、原子力・LNG(液化天然ガス)を含めたエネルギー源の多角化などです。省エネでも、国民がライフスタイルの変化で協力し、低燃費で排ガスの少ない自動車の技術開発を成功させました」世界から「生かされている」日本の責任 ――日本外交にとっても節目でした。 「当時の中曽根康弘通産相は『我々は自らの力で〈生きている〉のではなくて、世界のすべての国から〈生かされている〉ことを身にしみて感じさせられた』と述べています。戦後、経済的なパワーとして台頭した日本が、国際秩序にただ乗りし続けるのではなく、自らもルール作りに参画し、国際秩序をともにつくっていく必要性を痛感させられました」 「この時の石油外交では一時、アラブ寄りの姿勢で米国とぎくしゃくしました。しかし、米国主導の消費国連携の強化を率先して支え、国際エネルギー機関(IEA)の設立にこぎ着けました。それはその後のエネルギー国際秩序の強化につながりました」 ――今回はホルムズ海峡の事実上の封鎖が危機を深刻にしました。半世紀前の石油危機とは異なる点です。 「あの時は、誰もホルムズ海峡封鎖のリスクを感じてはいなかったと思います。イランはアラブ産油国の禁輸の間、逆に石油の安定供給に努め、危機を和らげるのに寄与しました。ホルムズ海峡封鎖はイランの石油輸出を阻むことになるため反対の立場でした」 「ホルムズ海峡が『チョークポイント』(急所)となりうることは意識されていましたが、差し迫ったリスクとはみなされていなかった。今回、イランは海峡を『経済的核兵器』にしてしまった、と米国は批判していますが、ホルムズ海峡は今後、半永久的に武器化される恐れがあります」■米国の戦略不在の背景にある…この記事は有料記事です。残り1750文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人江渕崇編集委員|国際経済・日本経済担当専門・関心分野資本主義と民主主義、グローバル経済、テクノロジーと文明藤田直央専任記者|現代史・憲法・公文書専門・関心分野日本の内政・外交、近現代史関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする