インタビュー日本よ、もっと円安を恐れよ 船橋洋一氏と振り返る経済「戦後敗戦」聞き手 編集委員・江渕崇 専任記者・藤田直央印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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日本の通貨政策で大きな転機となったドル高是正のプラザ合意から40年あまり、いま日本円は1ドル=164円に迫る歴史的安値に沈んでいる。プラザ合意を当時米国から報じたジャーナリストの船橋洋一氏は、「もっと円安を恐れるべきだ」と訴える。プラザ合意とその後の長期停滞の教訓を、私たちはどう生かせばいいのか。「国々の興亡」決するエネルギー安保 船橋洋一氏が読み解く中東危機 ――為替相場について、日本では長く「円高恐怖症」が支配的でしたが、足元でむしろ円安が止まりません。 「今回のホルムズ海峡危機が長期化する中で、円安のデメリットを深刻に考えるべきです。日本の燃料輸入額は年間24兆円にも上ります。自動車と半導体製造装置の年間輸出額24兆円をほぼ食ってしまっている状態です。円を生かした外交としての円借款も、防衛費の増額も円安で効果が目減りしてしまう。日本からの海外留学も減ります。円安で日本がどんどん小さく、貧相になっていく」 「1985年のプラザ合意の時は『円高恐怖症』のあり過ぎが裏目に出ましたが、いまは『円安恐怖症』のなさ過ぎが次の『失われた時代』をもたらすのではないか、と心配しています。日本よ、もっと『円安恐怖症』を持て、と言いたいぐらいです」円高恐怖症の根源にあった対米依存 ――そのプラザ合意では、米国の経常赤字を縮小するため、日米英仏と西ドイツが為替介入などでドル高是正に乗り出しました。 「米ソが対立した冷戦下、ドルを基軸通貨とするブレトンウッズ体制の下で輸出を増やし、経済成長した日本にとって、1ドル=360円で固定された円安水準はとても心地よいものでした。冷戦下での特権的な円安を失いたくないという恐怖感が強かったのです」 「戦後の円安は『吉田ドクトリン』と裏腹だったと言えます。対米依存を前提とする経済重視・軽武装の政策で、敗戦からの主権回復前後に長期政権を担った吉田茂首相が道筋をつけた自民党政権の基本路線のことです。これに『待った』をかけたのが71年のニクソン・ショックでした。ただ、その後に変動相場制になってからも、米国の対日貿易赤字は膨らみ、米議会は対日批判で沸騰していました」 「そこで、日本としても円高に振ることで、米国内の保護主義に歯止めをかけ、自由貿易体制を維持しようと、米国と連携してプラザ合意に持ち込んだのです。経済大国となった日本が有利な立場を生かし、それを維持するため国際秩序の形成に関わるという政策協調の思想です。中曽根康弘首相の判断が決め手でした」プラザ合意後の長期低迷を生んだのは ――ただ、そのプラザ合意後のバブルの膨張と崩壊を経て、日本は長期低迷に陥ります。 「問題は、円高の日本経済へのデメリットに過敏になり、その対応を日本銀行の利下げという金融政策に頼りすぎたことです。財政政策をもっと早めに発動すればあれほどの低金利に突っ込むことも避けられたかもしれません。既得権益を守る規制を解除し、競争と投資を促し、新しい産業を育てる大胆な構造改革に踏み込めなかった。政治的抵抗に屈したのです」 「余ったカネは不動産と株式…この記事は有料記事です。残り2311文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人江渕崇編集委員|国際経済・日本経済担当専門・関心分野資本主義と民主主義、グローバル経済、テクノロジーと文明藤田直央専任記者|現代史・憲法・公文書専門・関心分野日本の内政・外交、近現代史関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする