インタビュー蔓延する「優生気分」 人の命をコストで判断 その統治者目線、なぜ田中聡子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
[PR]
津久井やまゆり園事件をきっかけに、一人ひとりが持つ「内なる優生思想」にどうあらがうかが議論されてきました。一方で、SNSなどを中心に包み隠さない差別や攻撃も繰り広げられています。批評家の杉田俊介さんは、そんな社会を「優生気分」という言葉で表しました。やまゆり園事件から10年相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月26日、入所者19人の命が絶たれました。「内なる優生思想」を前に、立ち尽くしてきたかのような10年。葛藤し、思考し、乗り越えようとする人たちに話を聞きます。交ざり合う優生思想と自己否定 ――この10年、「内なる優生思想」どころか、差別を隠そうともしない発言が飛び交っています。 事件当時、僕は障害者介助の仕事をしていました。周囲の人とよく話していたのは「50年前に戻ったみたいだ」ということです。 1970年ごろから、障害者運動では自分たちを排除する社会を「健全者文明」などと猛烈に批判し、長い時間をかけて優生思想に対抗する土壌を作ってきた。 それが一気に覆された、と。 そしてやまゆり園事件から10年。SNSを中心に「生きるに値するか、しないか」と、他人の生を線引きする空気は強まっています。 同時に、他人だけでなく自分自身を「生まれてこなければよかった」「生きていても無駄だ」と否定する言葉も目立つようになりました。「安楽死の法制化」の要求が象徴的です。他者に対するむき出しの優生思想と自己否定とが交ざり合い、高めあっているように感じています。「思想」というより「あいまいな空気」 ――他者の生の選別と自分に…この記事は有料記事です。残り1567文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






