インタビュー差別が個人化されすぎている 「あなたが悪い」だけでは見えないもの聞き手・田中聡子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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自分の中にも「植松」がいるかもしれない――。植松聖死刑囚の障害者観は、多くの人が自分の中の差別を考えるきっかけとなりました。美術史家でアーティストの近藤銀河さんは、「差別を個人化して終わってはいけない」と話しています。やまゆり園事件から10年相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月26日、入所者19人の命が絶たれました。「内なる優生思想」を前に、立ち尽くしてきたかのような10年。葛藤し、思考し、乗り越えようとする人たちに話を聞きます。「気付く」だけではたどりつけない ――やまゆり園事件は、多くの人が自分の中の「内なる優生思想」を考えるきっかけになりました。 「自分の中にも植松がいる」とか「優生思想がある」とか、植松聖死刑囚の考え方を自分ごととしてとらえた人は少なくなかったと思います。 でも正直なところ、それで終わってしまっているような気がするんです。それでは「気付いた」ことに満足して、本当に考えてほしいことにたどり着いていないのではないかと思うことがあります。 ――内省も大事ではないですか。 今は差別があまりにも個人化されすぎてしまっている気がするんです。言葉や考え方だけが差別じゃない たとえば、私は「長く歩く体…この記事は有料記事です。残り1815文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする