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兵庫県姫路市の井上恵子さん(69)にとって、亡き父の思い出は歌とともにある。 父、中本仁一(にいち)さんは牧師だった。 日曜の礼拝ではボリュームのある声で賛美歌を歌った。 「とても美しいテノールだった」と井上さんは振り返る。 クリスマスやイースターの行事では、母・宣子さんとの息ぴったりのデュエットが名物だった。信徒の人たちが「また聴かせてください」とリクエストするほどだった。 仁一さんは60代半ばで牧師を引退し、80代の終わりから自宅で介護を受けた。 井上さんの手元には、仁一さんがベッドで賛美歌を歌う映像が残っている。 「わが主に ならいて……」。宣子さんと井上さんが歌う女声パーツに続き、仁一さんは横になったまま、ゆったりとしたメロディーを歌いあげている。【動画】ベッドの上で賛美歌を歌う中本仁一さん。ともに歌っているのは妻の宣子さんと娘の井上恵子さん=2022年11月、兵庫県姫路市、井上恵子さん提供手紙の「意外な内容」、父はうなずいた 父の介護をしていた井上さんは、2024年の春ごろ、父の持ち物のなかから1通の手紙を見つけた。 1944(昭和19)年5月、井上さんの祖父・中本欣伸さんが息子である仁一さんに送ったものだった。手紙の宛名「宣志(たかし)」は仁一さんの別名だ。 書き出しは《御金二〇〇送る》。 仁一さんは当時13歳。旧制中学に通うため、家族と離れて香川県観音寺町(現在の観音寺市)で下宿していた。欣伸さんは息子に200円を送金したようだ。 驚いたのは、その後のくだりだ。 《音楽は天才的でなくては物にならぬのです。惟(ただ)すきと云(い)ふ位では到底駄目です》 《どうか奮発して高等学校をやりなさい》 《大学を出たら音楽をやる事は大賛成です》 欣伸さんは、音楽家を志した仁一さんに対し、まずは高等学校へ進学するようにと説得したようだ。初めて聞く話だった。 井上さんによると、仁一さんは幼いころ、キリスト者の祖父からもらった聖書をきっかけに信仰を深め、後に東京神学大に進学。牧師として広島、大阪、東京などの教会に赴任しながら、妻の宣子さんと一緒に2人の娘を育てあげた。 「一直線に牧師になったと思っていたので、意外な内容に驚いた」と井上さんは打ち明ける。 ベッド脇で93歳の父に聞いてみた。 「本当は音楽家になりたかったの?」 仁一さんは横になったまま、照れくさそうにうなずいた。 体が弱っていくなか、精いっぱいの意思表示だったのだろう。それ以上、詳しくは聞けなかった。 24年7月、仁一さんは亡くなった。 翌年3月には宣子さんも93歳で逝った。 手紙が書かれた1944年は、米軍が日本本土への空襲を始め、戦局が急速に悪化していった年だ。翌年8月に終戦を迎えたが、戦後も混乱期が続いた。 父の音楽家の夢はそのまま立ち消えになったのだろう――。井上さんは何となくそう思っていた。 しかし、今年6月、もう1通の手紙が見つかった。朝日新聞ポッドキャストでは、連載「想いをつづって」のストーリーの取材の裏側を記者が語っています。記事の最後には番組の音声プレーヤーがあります。 差し出しは1946(昭和2…