ストーリー源義家、聖徳太子…各地に残る「納豆伝説」 起源にたどりつけるのか太田匡彦印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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炊きたてのご飯に、ぐるぐるとかきまぜた納豆をのせる。茶碗に箸を入れ、一気にかきこむ――。想像するだけで幸せな気持ちになります。さてその納豆、いつどこで生まれたのでしょう。各地に残る「納豆伝説」を訪ね、取材しました。攻めあぐねる源義家、そのとき馬の背で… 横手盆地(秋田県)を南北に流れる雄物川。現在の横手市内にあたる右岸周辺に古代、沼柵(ぬまのさく)と呼ばれる城柵があった。1086年冬、大雪の中、陸奥守・源義家はここに立てこもる清原家衡(いえひら)らを攻めあぐねていた。 寒さと飢えで多くの死者を出し、苦戦を強いられる義家軍。このとき一部の馬たちの背中には、俵に詰めた大豆が積まれていた。 大豆は雪で湿り、馬の体温で温められる。一夜にして糸を引き、独特の香りを放つなにかに変わった。本来、大豆は馬の餌だ。だが飢えた兵らが食べてみると体力が戻り、大いに士気があがった――。 1083~87年の後三年合戦の一場面として地元に伝わる、納豆発祥にまつわる伝承だ。 江戸後期の紀行家・菅江真澄が秋田藩に納めた地誌「雪の出羽路(いでわじ) 平鹿郡」に「納豆祭」を催す「豆豉(なっとう)八幡」の別称が記される沼館八幡神社は、沼柵の推定地から歩いてすぐの場所に立つ。宮川正哉宮司(55)はこう話す。 「義家軍は食料が尽き、馬まで食べるような状況だった。だから発酵した大豆でも食べざるをえなかったのでしょう。そうして食べてみたら、意外においしかったというわけです」。毎年9月、神輿渡御祭(みこしとぎょさい)の宵宮では参道で納豆が売り出される。「食べると1年、風邪をひかないと言われます」横手に立つ「納豆発祥の地」碑 横手市内にはさらに二つ、納豆伝説が伝わる。いずれも後三年合戦最中の源義家にまつわる。 沼館八幡神社から東へ車でお…この記事は有料記事です。残り5181文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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