ストーリー武田真一アナが退職も考えた「放送事故」 新人が救われた上司の言葉坂本純也印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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【連載】アナウンサーとして生きる(上) 会場は観覧者の熱気に包まれていた。2016年12月31日、東京都渋谷区のNHKホール。武田真一さん(58)は第67回NHK紅白歌合戦の総合司会としてステージに立っていた。両脇には司会でアイドルグループ「嵐」の相葉雅紀さんと、俳優の有村架純さん。NHKアナウンサーになって四半世紀超。実績を積み、一握りの人だけが選ばれる大役を担った。 折しもこの年の4月、故郷であり、新人時代を過ごした熊本県が大地震に見舞われ、犠牲者が出ていた。「熊本を少しでも勇気づけられれば」。そして、自身を育ててくれた「ふるさとに恩返しを」。そんな強い思いを胸に秘めながらも、「平常心」で臨んだ。「想定外」だったアナウンサーでのNHK入局 幼い頃から音楽が好きだった。小学生でキャンディーズに夢中になり、中学で佐野元春さんや忌野清志郎さんに出会う。パンクロックにも目覚め、大学時代は演劇やバンド活動に熱中。歌詞を書いたりセリフを考えたりする中で、自然と言葉の世界で働くことに魅力を感じ、コピーライターを志した。 就職活動の第1志望は大手広告会社。ただ、内定をもらえず、友人に誘われて受けたNHKに採用される。第1志望はディレクター職だったが、「想定外」にアナウンサーで内定した。そのため専門のスクールに通ったこともなく、「言葉巧みに話す同期を見て、自分にはまったく務まらんと思った」。相次ぐ失敗に、退職や職種替えを検討も期せずしてNHKアナウンサーとして歩み出した武田真一さん。慣れないことに悪戦苦闘し、失敗続きでした。そんな新人時代に、後にエースアナに成長し、紅白歌合戦の総合司会にまでたどり着くことになる、きっかけとなった出会いがありました。 1990年、入局後に配属さ…この記事は有料記事です。残り1212文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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