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熊本県内で67人(関連死2人を含む)が犠牲となった2020年の「熊本豪雨」の発生から、4日で6年となった。被害の大きかった県南部の球磨(くま)川流域の各地で、住民らが犠牲者を悼み、復興を誓った。 20年7月、停滞した梅雨前線による豪雨により、各地で河川氾濫(はんらん)や土砂災害などが起きた。総務省消防庁によると、死者・不明者は九州を中心に計88人。特に熊本県南部は4日未明から線状降水帯による記録的な雨に見舞われた。県内では死者67人、行方不明者2人、負傷者50人の被害が出た。住家被害は全壊1493棟など、計7400棟を超えた。 県によると、21年1月のピーク時には1814世帯が応急仮設住宅などでの仮住まいを強いられた。今年6月末現在も8世帯16人が自宅などに戻れていない。球磨川流域では輪中堤や宅地かさ上げの工事も進められている。豪雨に飲まれた集落、6年後の今は人口半減 それでも踏ん張る豆腐店 川沿いを走る国道219号の復旧工事では、流失した10橋のうち5橋が完成。豪雨災害後に復活した川辺川ダムの建設計画は、27年度の本体着工に向けた準備を国が進めている。 一方、被害の大きかった地域には、高齢化や産業の衰退が進んでいたところに災害の痛手が重なった地区も多い。手作りの「花おくり」 地域の絆つなぐ 住民3人が亡くなった熊本県球磨村神瀬(こうのせ)地区では、4日午前11時から七回忌の追悼法要と、「花おくり」が営まれ、近くの川に花を流して犠牲者を悼んだ。 住民が自ら準備し、災害時の炊き出しの訓練も兼ねて、みんなで作ったおにぎりを振る舞う追悼行事。被災してから毎年、手作りの追悼行事を続けてきた。雨の日に思い出す父 水没した千寿園で犠牲、あっという間の6年 準備のために集まると、地域の将来のことも話題になる。村外に避難した人も「花おくり」にあわせて戻ってくる。和気あいあいとした雰囲気にひかれて、少し離れた集落の人も訪れる。 東さゆりさん(67)もそんな一人だ。14人が亡くなった特別養護老人ホーム「千寿園」で母(当時84)を亡くした。最期にそばにいてあげられなかったのを悔やんだ。 そんなとき、神瀬地区の住民との交流が心の支えになった。「(交流行事のイベントの)じゃんけん大会とか楽しくって」 昨年、95歳の父をみとった。「父に『ありがとう』と言えました。母の分も声をかけられたようで、気持ちが落ち着きました」。穏やかな気持ちで神瀬の住民と花を流した。球磨川に向かって黙禱 各地で追悼行事 午前9時。熊本県球磨村が鳴らすサイレンを合図に、ラフティング協会の関係者が球磨川に向かって黙禱(もくとう)した。 JR肥薩線・球泉洞駅の跡地。豪雨で浸水し、駅舎やホームは撤去された。かつて人吉からラフティングで球磨川をここまで下ってきた。 陸にあがると駅のそばにあった商店でお菓子やジュースを買い求めるお客さんが多かった。 水害では商店も流された。母とおばを同時に失った平野みきさん(55)もこの日、一緒に黙禱した。 昼にアユやヤマメを焼いて、訪れた人にふるまうという。今年は七回忌。「一年一年、時がたつのが早くなる」と話した。熊本豪雨で被災の村、唯一の診療所の危機 救ったのは75歳の医師 午前10時には、人吉市の第三セクター「球磨川くだり」の発船場で、スタッフたちが追悼のサイレンに合わせて黙禱(もくとう)。花を球磨川に流して手を合わせた。 熊本豪雨では7隻の船が流され、事務所も浸水した。1年後に営業を再開したが、客は豪雨前の半分ほどしか戻っていないという。 ゼネラルマネジャーの藤山和彦さん(46)は、「あれから6年という月日の流れを改めて感じた。球磨川を船が下るこの光景を残すために、やれることをやっていきたい」と誓った。