現場から第2回提灯行列の後「こんな手のひら返しが」 新幹線待ち、時が止まる小浜八百板一平 久保智祥印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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古来、京都への「海の玄関口」となってきた福井県の若狭地方。都に海産物を納めた古代は「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、江戸時代は北前船が寄港する西日本の海運の要の一つであり、また、陸の「鯖街道」の起点でもあった。 中心地の小浜市は変わらず漁業の街だ。漁港のそばの「お魚センター」を訪れると、鮮魚店の店先から串に刺した「浜焼き鯖」の香りが漂う。 少し離れた市街地には街道の起点を示す銘板や、北前船で栄えた歴史をたどれる施設がある。訪れた人には輪番で近くの住民が解説するといい、「以前はアーケードの商店街もあったんだけどね」と教えてくれた。 漁業者の数はこの20年ほどで半減した。1990年代まで3万4千人前後で推移した人口も2000年代に減少傾向になり、2万6千人に。中心市街地の空洞化が進み、アーケードの商店街は7年前に道路の拡張などに伴ってなくなっている。北陸新幹線 できないかな 53年前に国の計画が決まった北陸新幹線。大阪への最後のルートが今国会の会期中に再決定されます。人口減少の時代、地域に「新幹線が来る」ことの意味を考えます。「後回し」の歴史 若狭は近代以降、交通網の整備が遅れた。 敦賀の鉄道は1889(明治22)年に、滋賀の米原経由で東海道とつながり、さらに7年後には北の福井へと延びた。 一方で敦賀から西の小浜線の全通は1922(大正11)年まで待った。戦後の高速道路の整備でも、敦賀と米原をつなぐ北陸道は80年に開通したが、若狭と敦賀を結ぶ舞鶴若狭道が通ったのは2014年だ。 「まずは敦賀」という経過は、24年に東京と敦賀がつながった北陸新幹線の整備も同じだ。ただ、大きく違うのは1973年に決まった国の計画が「米原ルート」ではなく、いま「小浜・京都ルート」と言われる道筋だったことだ。 地域は期待を寄せた。 「よかったな、ぼん。わしらは乗れんけど、ぼんは乗れる」 小浜市で製材業を営む桂田定樹さん(61)は計画が決まった時、酒席で顔を赤くした大人たちがうれしそうに語りかけてくれたのを覚えている。 だが、青年会議所を通じて開…この記事は有料記事です。残り871文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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この記事を書いた人久保智祥福井総局専門・関心分野寺社、宗教、文化財、文化、美術関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする