「近代考古学の父」ゆかりの浜田青陵賞、だんじりの街が創設したわけ筒井次郎印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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はるか昔の古代人と時空を超えて対話する。そんな知的冒険に、遺跡の発掘や出土品の分析という科学的な手法で迫る「考古学」は、日本では20世紀以降に発展した。浜田青陵賞に向井佑介・京大准教授 仏塔の変容・高層化の過程を解明 幾多の研究者が日本史や人類史の謎を解き明かしてきた。そんな考古学や関連する分野の優れた研究者に贈られる賞がある。「浜田青陵賞」だ。その創設の経緯や受賞者の顔ぶれは――。 賞が始まったのは1988年。考古学分野の賞で最も長い歴史を持つ。対象は、すでに大きな功績のあるベテランではなく、将来が期待される独創的な中堅研究者。作家の登竜門である芥川賞のような位置づけでもある。 浜田青陵(1881~1938)は「日本近代考古学の父」と呼ばれる。本名は浜田耕作で、青陵は号だ。 東京帝大を卒業。3年間のヨーロッパ留学を経て、1916年、京都帝大で日本初の考古学教室を開いた。 著書「通論考古学」には「考古学は過去人類の物質的遺物(により人類の過去)を研究するの学なり」と記し、近代的かつ科学的な研究を日本に持ち込んだ。晩年に京都帝大の総長に就いた。きっかけは恩師への思い 賞が創設されたきっかけは、浜田の教え子で文化勲章を受章した末永雅雄さん(奈良県立橿原考古学研究所の初代所長)の恩師への思いだった。 末永さんは85年に浜田の出身地である大阪府岸和田市を訪れ、市長と会談した。その際、浜田の功績をたたえようと話が発展。浜田の没後50年の節目に賞が創設されることになり、朝日新聞社が共催することになった。 浜田と朝日新聞社は縁が深かった。旧岸和田藩士の浜田の父は後に朝日新聞社員となり、浜田自身も同社の美術誌「國華(こっか)」の執筆・編集を担った。 最初の受賞者は、古代史を専門とする東野治之さん(大阪大助教授=当時、以下同)。木簡や正倉院宝物を研究し、2017年には文化功労者に選ばれるなど活躍を続けた。 その後も、後に学界を代表する研究者が名を連ねている。記事の後半は、主な受賞者を当時の写真で紹介。文化庁長官を務めたあの人やテレビでおなじみのあの人も・・・。ユニークな研究も紹介します。 その一人が小林達雄さん(第…この記事は有料記事です。残り1329文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人筒井次郎文化部|大阪駐在・歴史担当専門・関心分野世界遺産、京都・奈良、寺社・遺跡・文化財関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






