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AIに人生を相談する人がいる、と聞いても、もう驚かなくなりました。便利で、優しくて、いつでもそばにいてくれる。そんな存在に頼ることの、何がいけないのか――。1994年に完結した宮崎駿さんの漫画版『風の谷のナウシカ』には、快適な仮想空間に人を閉じ込める「庭の主」という存在が描かれています。朝日新聞ポッドキャストで記者3人がこの作品を語り合ったところ、「庭の主って、実は生成AIだったのでは?」という指摘が飛び出しました。30年以上前の物語が、なぜ今も読むたびに新しいのか。善と悪では割り切れない世界を引き受ける覚悟について、考えてみました。※この記事には、映画版の続きとなる漫画版『風の谷のナウシカ』の最終盤までの展開(ネタバレ)が含まれます。※本記事は、ポッドキャストエピソード「マンガ『風の谷のナウシカ』は生成AIを予見していた? 今も古びない〝神話〟(朝ポキマンガ部③) 」の音源を生成AIで文字起こしし、音声チームと出演者が確認・校正したうえで公開しています。映画の「その先」にある物語映画「風の谷のナウシカ」は、文明が滅んだ後の世界で、人にとっては有毒な「腐海(ふかい)」の森のほとりに暮らす少女ナウシカが、戦争に巻き込まれながらも自然との共生を模索する物語です。しかし漫画版は、映画とはかなり違います。映画で描かれた内容は、全7巻のうち2巻の途中まで。その先には、帝国の継承権争い、土着の信仰を持つ国家、超能力的な存在、そして「世界そのものが設計されていた」という衝撃の真実が待っています。水野梓記者は家に2セット持っているほどの愛読者。奥山晶二郎記者も子どもの頃から「10回以上は読み直している」といいます。一方、飯島啓史記者は今回が初読。3人の温度差が、かえってこの作品の懐の深さを浮かび上がらせていきます。「これで食べていけるかな」 宮崎駿監督が心配した「ナウシカ」前夜快適すぎる空間が、なぜ怖いのか奥山記者が「今回読み直していちばん印象的だった」と語ったのは、7巻に登場する「庭の主」という存在です。物語の終盤、世界を設計した旧人類が残した施設に、ナウシカはたどり着きます。そこには美しい庭園があり、きれいな水や食べ物、音楽、詩が満ちていて、訪れた人を心地よくもてなしてくれます。ただし、一度入ると出られなくなる。ナウシカ自身もそこでとらわれかけますが、「これは幻ではないか」と気づいて脱出します。奥山記者はこう話します。「庭の主が何を根拠にしているかというと、膨大なデータなんですよ。過去の音楽とか文化とか、あれって全部データですよね。それをその人に最適な形でアウトプットして逃さないっていうのは……。『これってAIじゃん』とぞっとしました」この話の直前に、奥山記者はある記事を読んでいたそうです。就職氷河期を経験した男性が、AIに人生相談をしているというルポでした。AIだけが頼れる存在になっている現実と、すでにAIが「予想外のことをあえて言ってくれる心地よさ」まで再現できている時代。「庭の主」が提供する完璧に快適な世界は、まさにその延長線上にあるように見えたといいます。この作品が完結したのは1994年。Windows95の発売より前のことです。「それでいいじゃないか」に、ナウシカは何と答えたかただ、奥山記者は、話の展開で「ナウシカは結構過酷なことを言っている」と感じ、それが興味深かったといいます。ナウシカは「庭の主」の快適さを退け、「苦しみとともに生きる」道を選びます。でも、それは本当に正しいのか。生成AIに相談することで救われている人がいる現実の前で、「それは本物じゃない」と言い切れるのか。奥山記者の口調には、作品への敬意と同時に、小さな戸惑いがにじんでいました。一方、水野記者は「バーチャルな世界だけで暮らせばいいじゃないか、というのとは違う。やっぱりそうじゃないよね、と言っている作品だと思う」と言います。しかし同時に、「自分は生成AIとは距離をとっていたけれど、どれも善しあしはあり、どっちかに偏りすぎるのも怖い」とも振り返ります。善か悪かではなく、その両方を抱えたまま進む。ナウシカが選んだのは、そういう道だったのかもしれません。杏さんが思いを寄せるナウシカ 「母は私を愛さなかった」という重み福島で見た風景が、漫画と重なった福島で3年間、記者として取材した飯島記者は、その経験ならではの読後感があったそうです。帰還困難区域で、ツタが生い茂る光景。人間の営みがもたらした大きな影響と、人がいない場所を覆い尽くしていく自然の力が、強烈なコントラストとなって焼き付いていました。ナウシカの世界では、腐海が実は汚染された大地を浄化する役割を担っていたことが明かされますが、飯島記者にとってそれが重なったのだといいます。さらに飯島記者は、人類が「良いこと」のために推し進めてきたテクノロジーが、かえって世界に大きな影響を与えてきた歴史に触れます。「そこに恐れがあってほしい」。その感覚の根っこには、幼い頃から繰り返し見ていた様々なジブリ作品があるのではないか、と飯島記者は語ります。きれい事では終わらせない強さ漫画版ナウシカのすごみは、単純な二項対立を拒むところにある、と記者3人は指摘しました。ナウシカは平和主義者のように見えて、人をあやめてしまったこともあります。過度な科学の力を否定しているようで、ガンシップ(小型戦闘機)に乗り、巨神兵の力を借りもします。飯島記者は、宮崎駿さん自身、戦争に反対しながら戦闘機を美しく描くという矛盾を抱えた作家だと指摘します。ナウシカとクシャナ、「戦う女性」が映し出す社会 河野真太郎さん7巻の終盤、ナウシカはこう語ります。「苦しみや悲劇や愚かさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから。だからこそ苦界にあってもよろこびやかがやきもまたあるのに」水野記者はこのセリフを引きながら、「そんなに単純に二つに分けられることってない。分けがちなんだけど」と振り返ります。テクノロジーも、資本主義も、自然との関係も、善悪のどちらかに振り切れない。その「割り切れなさ」をそのまま引き受けるナウシカの姿が、30年経っても読者の胸に刺さり続ける理由なのかもしれません。「こんな生き方できますか」という問い漫画版ナウシカには、敵兵の毒を自分の口で吸い出すような場面があります。超常的な能力ではなく、ただ目の前の人のために体を張る。奥山記者は「まねできなくはないぞ、というのがむしろ残酷。できない自分を突きつけられる」と話します。村の長の娘としてリーダーとしても振る舞いながら、人と同じように蟲(むし)たちにも愛を注ぐ――。水野記者が「こんな生き方できますか」とふたりに尋ねるほどでした。なぜナウシカはあらゆる生命を肯定できるのか 稲葉振一郎さんの洞察漫画の最後は、「語り残したことは多いが、ひとまずここで物語は終わることになっている」と記されて終わっています。物語は終わっても、問いは終わらない。「3年に1回読み返す」という奥山記者のように、読み返すたびに、新しい「今」が映り込む。それは、飯島記者が「神話」と表現したことにもつながりそうです。この作品の問いかけに対する答えはなかなか出ません。ただ、その問いを抱えたまま日常に戻ること自体が、ナウシカが選んだ道に少しだけ近づくことなのかもしれません。番組紹介「朝ポキマンガ部」は、朝日新聞ポッドキャストに出演する記者たちが、それぞれのお気に入りの漫画を持ち寄って語り合うポッドキャスト「MEDIA TALK」内の不定期企画です。作品紹介にとどまらず、取材経験や日々の実感と重ね合わせながら、漫画の奥にある社会の問いを掘り起こしていきます。奥山記者のプロフィルはこちら水野記者のプロフィルはこちら飯島記者のプロフィルはこちら番組を振り返って(奥山・水野・飯島より)(奥山)あらためてGemin…







