インタビュー大学で洋楽に熱中、そして決意「僕らの歌を作る」 小室等さんの青春聞き手・有田哲文印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

[PR]

語る 人生の贈りもの フォークシンガー・小室等さん(2) 《多摩美術大学に入ったが、没頭したのは音楽だ。1960年代の米国で大人気だったフォークグループ「ピーター、ポール&マリー」(PPM)にのめり込んだ》 テレビでアンディ・ウィリアムス・ショーという番組を見ていたら、こつぜんと3人が現れたんです。こんなにすばらしいハーモニーがあるんだろうかと思いました。 高校の合唱団で一緒だった小林雄二を誘って結成したのが「PPMフォロワーズ」です。名前のとおり、PPMに追従する、追いかける。来日したときは全部のコンサートとはいきませんが、相当追っかけました。小林は英語がぺらぺらで、やっぱり英語の得意な山岩爽子さんにマリー役で入ってもらって。英語は僕だけがだめだったな。 自分で言うのも何ですけど、学生のあいだでは人気があったんです。学生たちの集まるところで演奏してました。朝日ソノラマから声をかけられ、PPMのギター教則本もつくりました。レコードからコピーした楽譜を載せて、自分たちで演奏したソノシートもつけて。 《音楽の道に進もうと決意したのは、大学の先生の一言からだった。日本の抽象彫刻を牽引(けん・いん)した建畠(たて・はた)覚造(かく・ぞう)さん》 10人くらいのクラスの担任が建畠先生でした。僕らの面倒なんか見るつもりもないようで、すっと通り過ぎていく感じの先生でした。でも3年生か4年生のときに、こう言われたんです。「人を感動させるっていうのは、テクニックとかそういうことじゃないんだ」。僕は音楽だって同じじゃないか、と思ったんですね。フォークシンガーの小室等さんが半生を語る「語る 人生の贈りもの」、。全4回連載の2回目です。(2026年6月に掲載した記事を再構成して配信します)【第1回はこちら】フォークシンガー小室等さんの日常 認知症と向き合い、ライブで歌う 《卒業してしばらくはアルバイトで食いつなぐ》 美術大学を出た関係もあり、ショーウィンドーディスプレーの会社で仕事をしていました。銀座で真夜中に作業するんです。ギターの教則本の仕事もしていました。貧乏だったけど、楽しかった。「僕らの歌をつくらなければ」 《ピーター、ポール&マリーをコピーし、ずっと英語で歌ってきた。大学卒業後、これでいいのかと考える》 あるときから英語ではなく日本語で、僕らの歌をつくらなければと考えるようになりました。僕らの歌ってどこにあるのかなと、仲間とディスカッションを始めたんです。 最初につくったのが「目を明けよう」という歌です。〈目を明けよう/若い僕らの時代だ/世界を正しく見つめて/変えなければならぬもの〉という、言ってみればプロテストソング(社会抗議歌)です。でも、その後どんどんそういう歌をつくる方向には行かなかった。自分はそんなに偉そうに何かを言える人間なのか、という気持ちがあったのかもしれません。 《そんなとき、谷川俊太郎さんの詩に出会う》 詩人の茨木のり子さんが開い…この記事は有料記事です。残り1269文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません