コラム・寄稿金子兜太への酷評はなぜ 山本謙吉と高浜虚子から俳句の「伝統」問う印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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朝刊歌壇俳壇面で月1回掲載している、俳人・岸本尚毅さんの「俳句時評」。今回は井上泰至の著作を読み解きます。俳句時評 岸本尚毅 井上泰至の近刊『俳句の伝統―虚子と健吉』(角川書店)は、昭和の俳句史を背景に、評論家山本健吉と俳人高浜虚子を論じることで俳句の「伝統」を問う。 俳句の本質を「挨拶(あいさつ)」「滑稽」「即興」と見た健吉は、社会性俳句を主導した金子兜太の〈縄とびの純潔の額(ぬか)を組織すべし〉を「一かけらの詩もない」と評した。この句の生硬さは「純潔」の危うさに通じ、詩的でないことが逆説的に詩となり得ているようにも筆者には思えるのだが、本書は「戦前共産党活動を行い、そこから抜け出した過去」を持つ「健吉の個人史」が、兜太ら戦後の前衛派への酷評をもたらしたと推察する。 そのいっぽうで健吉は、虚子の〈去年(こぞ)今年貫く棒の如(ごと)きもの〉を、俳句は「日常の存問」だという虚子の俳句観の揺るぎなさを体現する句として評価した。 本書の後半は「虚子の遺産」…この記事は有料記事です。残り289文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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