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「村上春樹は暗闇を恐れない」(NYタイムズ、2026年2月11日付電子版)〈Alexandra Altr / The New York Times 抄訳=村野英一/朝日新聞英文編集〉 村上春樹氏が執筆のため机に向かう時、物語のゆくえは定まっていない。 この告白を聞いて驚いた。経験豊かな小説家で40冊を超える著作があり、数十の言語に翻訳された作品が計数千万部を売り上げている、文学界の世界的なスターなのだから。半世紀近いキャリアを経てなお、村上氏の創作の過程は謎に包まれている。彼自身にとってさえも。 「構想は何もない。僕はただ書いているだけで、書いているうちに奇妙な出来事が自然な成り行きで、ひとりでに展開していく」。村上氏は2025年12月に米国・ニューヨークで行われたインタビューで、こう話した。 「小説を書くたびに、僕はいつも別の世界に入りこむ。それは潜在意識とでもいうものかもしれません。その世界ではどんなことでも起こりうる。僕はそこでとても多くの物事を見てから現実の世界に戻り、書き進める」 村上氏が自分自身を、文章が巧みな名文家や卓越した物語作家とみなすことはない。物語の語り手として彼が際立っているのは、様々な世界を旅して報告する能力なのだ。 「僕は自分が芸術家だとはまったく思わない。普通の男です。僕は天才ではないし、それほど賢いわけでもない。でも、僕はあそこに、あの世界に入っていくことができる」ずっと自宅にいて、ひたすら仕事を インタビューをした場所は、マンハッタンのとあるホテルの地下にある、洞窟のようなカクテル・ラウンジだった。彼の作品で繰り返し洞窟やトンネルがモチーフにされていることを思うと、妙にしっくりきた。時刻は午前10時。不気味なほど閑散とした店内の壁で、幾何学文様の光が踊っていた。 フード付きのスウェットシャツとスニーカーというカジュアルな装いの村上氏は、暗がりのなかでくつろいでいる様子だった。あまり身じろぎせずにじっと座り、宙に浮いているアイデアをつかもうとするかのように時折視線を上の方にさまよわせ、ゆっくりと慎重に、ほとんどの質問に英語で答えた。 村上氏は人前に出ることを好まないし、自分の作品の意味や自分自身について語ることも好まないようだ。本人が知らないうちに動画を撮影されることはあるが、テレビに出演することは避けている。しかし、2025年12月のニューヨークで、渋々ながら大勢の熱心な聴衆を相手に2回講演した。 「私は人づきあいが得意ではないし、パーティーに出たりスピーチをしたりすることは好きではない。でも、そうすることが必要な場合も時々はあります」と村上氏。「それ以外はずっと自宅にいて、ひたすら仕事をしている。ワーカホリック(仕事中毒)のようなものです」 市公会堂が満員になった12月11日の講演で、村上氏は日本の文学と文化のグローバル化、つまり、彼が引き起こした変容について話した。 その直前には、米国の文学振興NPO「センター・フォー・フィクション」が長年にわたる功績をたたえて村上氏に贈った功労賞の授与式があった。詩人でアーティストのパティ・スミス氏からこの賞を贈呈され、村上氏は短いスピーチを披露した。参列者たちは村上氏の写真や動画を撮らないように指示された。 村上氏は50年以上連れ添った妻に感謝し、彼女が最初の読者であり、しばしば最も手ごわい編集者になると明かした。また、数十年前に米国で初めて開いた著書のサイン会には、わずか数人が現れただけだったと振り返った。「手にペンを握ったままで何もすることがなかったことを思い出します。私の人生で最も長く感じた数時間だった」 そのように冷ややかな反応は、今では考えられないだろう。文学界で抜きんでた名声を得ると同時に、世界中の読者から寄せられる圧倒的な人気を手にしたまれな作家なのだから。 新作の小説が刊行されるたびに、発売と同時に新作を手に入れようとする熱狂的なファンが書店に詰めかけ、真夜中にお祭り騒ぎをして祝う。著書で触れられた楽曲のプレーリストがファンによって作成され、小説に登場した料理のレシピ本も刊行された。X(旧ツイッター)には、村上氏の作品に出てくるスパゲティについてだけ語るアカウントさえある。 村上氏の著作の総販売部数が600万冊を超えた米国では、さらに一連の出版が予定されている。クノッフ社は2026年秋、村上氏が父との関係を描いた、心に響くエッセー「猫を棄てる 父親について語るとき」を刊行する。2027年には、村上氏が所有するクラシックレコードを紹介する書籍「古くて素敵なクラシック・レコードたち」も発行する。変わらぬ人気を集める既刊の作品群も、装丁を新たにして再販する準備を進めている。 村上氏は77歳となった今も驚くほど多作だ。最近、新しい小説の執筆を終えた。2026年夏に日本で発売される予定で、英語版の翻訳も進んでいる(訳注=長編小説「夏帆―The Tale of KAHO―」、新潮社から7月3日に発売予定)。途方に暮れる体験 「夏帆」の大半は、深刻な疾病で1カ月入院し、回復した後に執筆した。村上氏は詳しく語りたがらなかったが、体重が約18キロ減ったという。 村上氏にとって、この病気は…






