[PR]

みなさんは、自分のことを好きになれないと感じたことがありますか? 「部屋を片づけられたら、自分を認められるのに」 「痩せたら、自信が持てるのに」 「夜更かしをやめられたら、ちゃんとした人間になれるのに」 そんなふうに、自分を好きになれない理由なんていくらでもありませんか。 認知行動療法では、自分の考えを見直すときに、「その考えは事実に合っているか」を検討します。これを、認知の妥当性の検討といいます。 でも、もうひとつ大切なのが、「その考えは自分の役に立っているか」という視点です。これを、認知の有用性の検討といいます。「私、だらしない」は事実だけど 注意欠如多動症(ADHD)の主婦リョウさん(架空の人物)は、最近、自分のことが本当に嫌になっていました。 リビングのテーブルには、学校のお知らせ、開封していない郵便物、飲みかけのペットボトル、コンビニのレシートが積み重なっています。洗濯物は、洗ったままカゴの中。夜は「少しだけ」のつもりでスマホを見始め、気づけば深夜1時半です。 リョウ「またやっちゃった。明日も起きられないじゃん」 さらに最近は、お酒とお菓子も増えていました。 リョウ「今日は飲まないって思ってたのに」 冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、スナック菓子を開けます。 リョウ「もういいや。どうせ太ってるんだし。今さら一袋我慢したところで変わらないし」 鏡を見ると、おなかまわりが気になります。 リョウ「こんな自分、好きになれるわけないじゃん。私だらしないんだよね。自分を愛しましょうとか、自分を受け入れましょうとか言うけど、無理でしょ。こんな状態の自分を好きになるなんて、痛いでしょ、それ」 リョウさんの考えは、まったく事実と違うのでしょうか。 「部屋が散らかっている」のも「夜更かしをしている」のも「お酒やお菓子が増えている」のも事実なのです。「私はだらしないところがある」という認知には、ある程度の妥当性があります。 ここで大切なのは、すべてのつらい考えが「間違い」ではないということです。 優しい友達は言うでしょう。「そんなことないよ、リョウさんはだらしなくないよ」 でもリョウさんはきっとこう思うでしょう。 リョウ「いや、部屋見たことあります? 普通に汚いですけど」 だからこそ、認知行動療法では、妥当性だけでなく有用性も検討します。 「その考えは、あなたの役に立っていますか?」自分への攻撃は、行動する力を奪うだけ リョウさんは、夜にスナック菓子を開けながら思います。 リョウ「どうせ太ってるんだから、もう手遅れだし」 少しだけのつもりが、食べ始めると止まりません。 リョウ「ほんと最悪。だから私はだめなんだよ」 そう思うと、ますます苦しくなって、さらに食べてしまいます。 別の休日。 リョウさんは、友人をランチに誘おうとしてスマホを手に取りました。 リョウ「久しぶりに会いたいな」 でも、すぐに手が止まります。 リョウ「私から誘われたって、誰も喜ばないよね。どうせ私は暗いし、太ったし、ちゃんとしてないし」 結局、メッセージは送らず、ソファに横になってスマホを眺めます。SNSには、楽しそうにカフェで笑う友人の写真が流れてきました。 リョウ「みんな、ちゃんとしてるなあ。私だけ何やってるんだろう」 ここで見てほしいのは、「私はだらしないから嫌い」という考えが、リョウさんの生活をよくしているかどうかです。 その考えによって、片づけを始められているでしょうか。食生活を整えられているでしょうか。人とのつながりを持てているでしょうか。 残念ながら、そうではありません。「私はだらしないから嫌い」と思うことで、一瞬だけ「現実をちゃんと見ている」感じはするかもしれませんが、その後に起きていることは、自己改善ではなく、自己攻撃です。 自己攻撃は、多くの場合、人を元気にはしません。むしろ、動く力を奪ってしまいます。「好き」になれなくても「見離さない」 では、リョウさんはどう考えればよいのでしょうか。 いきなり、「私はこのままで最高!」「だらしない私も全部大好き!」は妥当性を欠く認知ですよね。 大切なのは、妥当性もある程度あり、なおかつ有用性の高い考えを探すことです。 たとえば、こんなかんじでいかがでしょうか。 「たしかに、今の自分には変えたいところがある」 「でも、自分を嫌い続けても、人生はよくなっていない」 「仕方ない。世界で私ぐらいは、私を見離さずにいてやろう」 この考えのほうが、リョウさんの役に立ちそうです。 ある土曜日の朝。リョウさんは、また散らかった部屋で目を覚ましました。 リョウ「またやった……」 いつもなら、ここから自分責めが始まります。でも、その日は少しだけ立ち止まりました。 リョウ「たしかに、だらしない。これは事実。でも、この言葉、私の役に立ってる?」 散らかったテーブルを見ながら、リョウさんはつぶやきます。 リョウ「立ってない。責めても片づいてない。仕方ない。世界で私ぐらいは、私を見離さずにいてやるしかないか」 リョウさんは、テーブルの上のペットボトルを3本つかみ、台所に持っていきました。 リョウ「全部片づけるのは無理。まず、これだけ」 次に、友人に送ろうとしてやめていたメッセージを開きます。 リョウ「私から誘われたって、誰も喜ばないよ」 また、いつもの考えが出てきます。 リョウ「この考え、役に立つ?……立たない。私から誘って喜ぶかどうかは相手が決めること。断られたら、そのとき考えよう」 リョウさんは、メッセージを送りました。 リョウ「久しぶり。もし来週あたり空いてたら、ランチ行かない?」 夕方、友人から返信が来ました。 友人「行きたい! ちょうど会いたいと思ってた」 リョウさんは、画面を見つめました。 リョウ「……会いたいと思ってた、だって」 自分を急に好きになれたわけではありません。部屋もまだ散らかっています。生活リズムも体形の悩みも残っています。しかし、リョウさんはこう思えたのです。 リョウ「私、見離されるだけの人間ってわけでもないのかも」「その考えは役に立つか」をぜひ考えて 自分を好きになれないとき、私たちはよく「その考えが正しいかどうか」にこだわります。 たしかに、その認知には妥当性があるのかもしれません。でも、そこで終わらずに、もうひとつだけ問いを足してみてください。「その考えは、役に立っているだろうか」 その考えによって、生活が整うなら、人とつながれるなら、自分を大切にする行動が増えるなら、それは有用な考えかもしれません。 でも、その考えによって、ますますお菓子を食べてしまう。人に会うのを避けてしまう。スマホに逃げてしまう。「どうせ私なんて」と動けなくなる。 そうであれば、その考えは、たとえ一部正しくても、今のあなたの役には立っていないのかもしれません。 そんなときは、無理に自分を好きにならなくていいのです。 「今の私は変わりたい。でも、見離さない」 これくらいで、いいのです。 ◇ このコラムでご紹介したADHDについてもっと知りたい方は「ADHD脳で困ってる私がしあわせになる方法」(主婦の友社、2021年)もどうぞ。〈臨床心理士・中島美鈴〉 1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。