ストーリー嵐の大ファンだった妹、妹思いの兄が渡せなかったランドセルの中身柳沼広幸印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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夢があった。あの震災がなければ……。15年前の東日本大震災の津波で児童と教職員の計84人が犠牲になった宮城県石巻市の旧大川小学校。6年生の鈴木堅登(けんと)さん(当時12)は亡くなり、妹で4年生の巴那(はな)さん(当時9)は今も行方不明のままだ。教科書やノートがぎっしりと詰まった兄妹のランドセルは生きた証し。命の重さを伝えるランドセルが、震災伝承施設で展示されている。私立中学に合格、袖を通せなかったあこがれの制服 「レントゲン技しになりたい」。幼い頃、病院で放射線技師に撮ってもらったX線画像を見て「感動した」――。堅登さんのリュック型の紺色のランドセルに入っていた連絡帳に、将来の夢が書いてあった。 「レントゲン技師になるにはどうすればいいの?」 6年生の夏休み明け、堅登さんは母親の実穂さん(58)に尋ねた。 「お医者さんと同じように、勉強しないとなれないよ」 「じゃあ、進学できる中学に行けばいいね」 将来の進学を考えて、仙台市の私立中学を目指していた。 「校内も校外も、環境が整っていて(略)勉強やスポーツにうちこめる」。中学受験に備え、自由帳に志望動機を書いて準備した。2011年1月の受験で見事に合格。4月から仙台に近く母の実家である東松島市の祖父母宅から通う予定だった。 大川小の卒業式まであと1週間。3月11日午後2時46分。大地震が発生し、約50分後、海から約3・7キロ離れた大川小を高さ約8・6メートルの大津波が襲った。堅登さんは8日後に遺体で発見された。あこがれの中学校の制服に袖を通すことはできなかった。巴那さんは今も見つからず、両親は捜し続けている。見られなかったノート、15年後に向き合った中身 堅登さんのランドセルは震災から10日後、大川小から約1キロ離れた沼地で、父親の義明さん(64)が見つけた。土砂と泥水に漬かって重たくなったランドセルを大切に持ち帰った。 教科書やノートがぎっしりと…この記事は有料記事です。残り668文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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