ストーリー佐々木凌印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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2016年4月の熊本地震は、震度7の28時間後に震度7が続くという国内観測史上初めての地震だった。発災直後に支援に入った医師たちも被災者となり、難しい判断を迫られた。 30人が入院していた熊本県益城町の東熊本病院。4月14日夜の前震では、新棟と旧棟をつなぐ壁に幅10センチ以上の隙間ができたとみられる。電気や水道などのライフラインも止まった。 鹿児島市立病院の吉原秀明・救命救急センター長(63)は15日朝、災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員として熊本入りした。夜、DMAT本部に「東熊本病院が危ない」との連絡が入り、同病院に派遣された。 午後11時すぎ。病院の中も外も真っ暗で、そこに病院があるかどうかもすぐには分からないほどだった。病院側によると、電子カルテが見られなくなり、どの部屋に何人いるか分からないという。 吉原さんが確認したところ、たんの吸引が必要な患者が8人いた。最低限の機器は携帯型の発電機でまかなっていたが、非常用発電機は使えない。余震も相次ぎ、建物に危険がないとも限らない。 水や食料の備蓄はあったが、今後の最悪の状況を考え、消防やDMAT隊員がいる今のタイミングで、入院患者全員を別の病院に転院させる「病院避難」をした方がいいと病院側に助言した。そして避難が決まった。 患者の一覧表を作り、受け入れ先を探し始めたが、相手の病院も地震で混乱していた。1時間で搬送できたのはわずか3人だった。 本震の発生はそんな時だ。 16日午前1時25分。病院の玄関前。足元のアスファルトがぐにゃっと曲がるような感触があった。「ポン」と突き上げるような衝撃。体がふわっと浮く感じがした。 誰かが「病院から離れろ」と叫ぶ。病院の駐車場には亀裂が多数入り、後輪が沈んだ車両もあった。 直後、吉原さんがDMAT本部から受けた指示は「避難せよ」。しかし、消防隊員が病院の中から患者を外に運び出すたびに、拍手や歓声があがっていた。「説得しなければ」 「2次被害は出してはいけな…この記事は有料記事です。残り795文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人佐々木凌西部報道センター|内政キャップ(福岡県政など)専門・関心分野災害・防災、宇宙、原発・エネルギー、環境関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする