第19回自宅跡を見つめた夫婦 仮設でも移住先でもおしゃべりが元気をくれた2026年6月13日 14時46分福留庸友印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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「いつもここに座っていたの」。15年前の写真を見ると、懐かしむように言葉を発した。 東日本大震災で津波にのみ込まれ、奇跡的に助かってから2カ月後。山口和子さん(79)は、岩手県釜石市平田の自宅兼店舗だった場所にしばらく夫婦で通った。海から200メートル。がれきの処理を見守ったが、結局建物ごと流されており、何も出てこなかった。 和子さんが喫茶店と化粧品販売を、夫がタイヤ販売・交換業を営み、40年以上暮らした場所。多くの思い出がつまった、人生そのものだった。後に亡きがらを発見した飼い猫2匹も、当時は行方不明で心配だった。何かできるわけでもなかったが、足が向かった。 全身に打撲を負い、将来への希望も見いだせず和子さんは心身共に深く傷ついていた。ただ、「何かしていないとダメ。死んじゃう」と自ら認める活動的な性格で、避難所にずっといると逆に気がめいったという。 仮設の商店街ができると聞き、入居を決めた。震災から約1年後、被災した住民らが集える居場所として「お茶っこサロン」を始めた。日常のささいな出来事から、被災者同士だからこそ話せる悩みまで、何でも話した。様々な出会いがあり、「次の日もがんばろうと思えて、私自身が救われた」と振り返る。 震災から7年後、釜石市から120キロ離れた山間部の一戸町に引っ越した。長男の近くにいる方が良いと考えたからだ。夫の勝利さん(85)は病を患い別々に暮らす。「内陸と沿岸は違うな」と悩むこともある。でも、合わないと言ってられないし、心配はかけたくない。だから少しでも溶け込もうと、一戸でもサロンを開いた。 昨夏、和子さんは自宅で倒れた。サロンは一時休止しているが、「また一緒にリボンフラワーを作りながら、おしゃべりしたい」と言ってくれる人がいる。どこに住んでも、話すことで元気をもらっている。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人福留庸友気仙沼駐在専門・関心分野東北、東日本大震災、メディア論関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






