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プロローグ 光る眼野口麻衣子の右目は義眼だ。生後4カ月で網膜にできたがんのために摘出した。それが遺伝する病気とはっきりとはわからず第二子七誠を産む。生後3週間で七誠の左目が光る。 40歳になった野口麻衣子(まいこ)が第三子のために用意していた肌着、だっこひも、ベビーバスなどの新生児用具一式を処分したのは、2023年のことだ。 だが、どうしても棄てられないものがあった。 なんのへんてつもないスリングだ。肩からかけて、斜めにわが子を抱くそのスリング。裏地は白の水玉、表地はうすい茶色のその綿のスリングは、薄汚れていた。 このスリングがあったおかげで、麻衣子は第二子である七誠(ななせ)の病気をみつけることができたのだった。 もう、7年もたつのか──。 そのスリングを頬(ほお)につけながら、麻衣子は2016年7月27日のあの夕暮れのことを思い出していた。オレンジ色に光った まだ上の慶士(けいじ)が2歳足らず、生後3週間の七誠をそのスリングで抱っこしながらの炊事は戦場だった。税理士の夫集平(しゅうへい)は出張中でのワンオペだ。 テーブルの端に座った慶士の前に料理をおいたあと、胸元の七誠を見ると、左眼がオレンジ色に光ったような気がした。 はっとして、正面から黒い瞳をのぞくが、いつもとかわらない。が、もういちどテーブルのその位置にきて斜めから七誠の顔をのぞくと、今度は確かに黒目の中心の部分がオレンジ色に光っていた。 もしや……。 えたいの知れない悪寒が這い上がってくる。 麻衣子は網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)のサバイバーである。 網膜芽細胞腫の患者は、13番染色体上にある突然変異が原因で、がん抑制遺伝子が欠けている。 受精して胚から胎内で成長する過程でもっとも激しく分裂する細胞は網膜の細胞だ。光をうけとる視細胞は、新生児が誕生するまでに1億2000万個に分裂する。だから時に、ミスコピーが生じる。健康な人間であれば、それをがん抑制遺伝子が排除し、修復する。が、網膜芽細胞腫の患者にはがん抑制遺伝子が欠損しているために、ミスコピーが温存される。そうして生まれたがん細胞が増殖する。つまり生まれてからすぐの段階で、網膜にがんができる。 網膜にがんができるので、光が反射してオレンジ色に光るのである。 一般には白色瞳孔と言われるが、それはオレンジ色の光だった。 網膜にある1億2000万の細胞は、光を感知し、信号にかえて視神経を通じて脳に伝える。つまりここにがんができるということは視力の問題に直結する。また、ほうっておけば視神経を通じて、脳や他の器官に転移し、生命の問題に直結する。 麻衣子は、自分の右目の網膜にがんができていることを発見した時の母の話を幼いころから繰り返し聞いていた。「麻衣子の右目がオレンジ色に光って、すぐに病院につれていったのよ。町医者は、白内障っていうけど、そんなばかなと思って阪大につれていったの」 麻衣子は、大阪大学医学部附属病院の診察で、右目にがんが発見され、眼球摘出の手術をうけている。生後4カ月のことだった。 だから右目は義眼だ。 七誠も同じ病気なのだろうか? 網膜芽細胞腫は遺伝するという話はぼんやりとは聞いていた。 夫の集平とは、2012年6月に結婚しているが、自分の病気のことは告げている。だが、遺伝のことは、遺伝するかもしれないとしか告げていない。実際、自分もそうした理解だったのだ。集平は、そのことを告げられても気にしている様子はなかった。 そうして第一子慶士が2014年8月に生まれたが、今にいたるまで眼に異常はない。麻衣子の両親もそうした病気は持っていない。だから、油断していた。 何度、ためしても、同じ夕陽がさしこむリビングの机の端のところで、斜めに覗き込むと七誠の眼は光っている。 震える手でスマホのフラッシュを焚いて撮影をしてみると、やはり左目の黒目の部分がオレンジ色に光った。しかもオレンジ色の中に血管が引き込まれている。 その写真を「これ網膜芽細胞腫と違う?」と母親に送ってみた。「そうかもしれないねえ」と母親から電話がかかってきた。遺伝させてしまった! 自分が生後3カ月で診断をうけた同じ阪大病院で診察をうけた。「お子さんは網膜芽細胞腫のようです」 七誠の場合は両目ともに、がんがあるという。 両目ということは、最悪、両眼球を摘出しなければならないのか! 阪大病院では、VECとよばれる3種類の抗がん剤を投与し、がんの増大をとめ、縮小させたあとにレーザーで焼くという治療方針がとられた。「うまくいけば、両目ともに温存できて視力も維持できる」と主治医は説明した。 生後4カ月でうけた自分の右目の摘出と抗がん剤の治療は、覚えていない。 だが、七誠は生後まだ3週間だ。こんな小さな赤ちゃんが抗がん剤の投与をうけなければならない。 診察翌日から抗がん剤の投与が始まった。七誠はこの全身抗がん剤の投与をその年の年末まで6クールうけることになる。 副作用は大人と同じ、髪の毛がぬけて、吐く。生まれた時にあった髪の毛は3クール目までにほぼぬけてしまった。 抗がん剤投与中は、入院である。小児科の病棟でぐったりとしているわが子の背中をなでながら、気づいたことがあった。 ぎゅーにゅー。ぎゅーにゅー。 と、カートをひきながら牛乳などの飲み物やプリンやヨーグルトを売りにくる老人がいる。 その声はどこかで聞いたような懐かしい響きがあった。 そのことを母に話したら、「その人、あんたが入院してた時も来ていた人じゃない? あんたが入院中もワゴン押して売りに来てたおじさんいたけど」と言う。 次にその声を聞いたとき、ジュースを買いにいき、話しかけてみた。 すると五十年このワゴン販売を阪大病院でやっているそうで、年齢は九〇。 自分も幼少期にこの病院に入院していたときに、同じ声を聞いたのだ。 運命という言葉が、麻衣子の頭の中を駆けめぐっていた。 この子を守らなければならない。それは遺伝させてしまった自分の責任だ。遺伝病を受け継がせないための方法 抗がん剤投与のため一週間は入院する。その後体力の回復を待って、2クール目の抗がん剤投与と繰り返していく。4クール目に入ったのは、七誠のがんが発見されてから、約2カ月半後の2016年10月半ば。ここで初めてレーザー治療が入る。がんをレーザーで焼き切るのだ。レーザーの巨大な機械が並んでいる脇にある大きなベッドに、小さな七誠を置く。全身麻酔をして、レーザーを使う。 このころから、麻衣子はもともと予定していた第三子のことを夫と話し合っている。 麻衣子は下垂体性無月経であったため、長男の慶士、次男の七誠ともに、体外受精で産んでいる。今や10人に一人は体外受精で生まれる時代で、そのこと自体は珍しいことではない。 麻衣子は、ネット上で、この体外受精を利用した「着床前診断」という方法が、遺伝病を受け継がせないための方法としてあることを知り、夫と相談をしたのだ。 体外受精では、複数個の卵子をまず採取する。それに精子をふりかけると、受精して5日ほどで、それぞれ100ほどに細胞分裂したいくつかの胚となる。 通常の体外受精では、この複数の胚のうちのひとつを子宮に戻し、着床させて妊娠させるのだが、この「着床前診断」という方法では、胚を調べて突然変異を受け継いでいない胚だけを戻すのだという。 網膜芽細胞腫の場合、突然変異を受け継ぐ遺伝子を持つ卵子なり精子なりが受精する確率は50パーセント。この突然変異が受け継がれれば、95パーセントの浸透率で発症すると言われている。 つまり自然妊娠の場合だと、約50パーセントの確率で、網膜芽細胞腫を発症する子供が生まれる。 「着床前診断」でそうした胚を排除してしまえば、健康な子供が生まれるというロジックだ。 実は、麻衣子は第一子の慶士の時にも、体外受精をしたIVFなんばクリニックの担当医に、「不安なので着床前診断ができないか?」ということを聞いている。そのときには、「うちは着床前診断の実施施設ではないからよくわからないが、網膜芽細胞腫の着床前診断はできないと思う」と言われている。 とにかく、2016年当時は、ネット上に、「着床前診断」に関する情報がほとんどなかった。いったいどんな遺伝病だとこの診断をうけることができるのか? そこで、麻衣子は、七誠の治療につきっきりのその時期に、大きな病院で医師や遺伝カウンセラーに問い合わせをしている。阪大病院を含む5病院に聞いてみたが、どこも「網膜芽細胞腫は生命予後に関係がないので難しいと思う」との答だった。 たしかに、がん細胞が視神経を伝わって脳や他の器官に転移する前に、眼球を摘出してしまえば、視力は失っても命はたもたれる。 麻衣子は右目を摘出するだけで視力をうしなわずにすんだ。だが、七誠の場合はどうなる? 命とひきかえに視力をさしだせ、というのか?「生命予後に関係がない」その言葉を聞くたびに、軽い病気と言われているようでむしょうに腹がたった。「眼動注」 阪大での治療では腫瘍は半分にまで縮小したときもあったが、再び増殖を始め、播種(はしゅ)といって眼球のなかにがんが飛び散っているような危険な状況になっていた。6クールにわたる抗がん剤の投与とレーザー治療をしたにもかかわらずである。 このとき、麻衣子はインターネットのアメブロ(アメーバブログ)で、七誠と同じ網膜芽細胞腫の子の母親が書いているブログを偶然目にする。その子は、東京の国立がん研究センターで「眼動注(がんどうちゅう)」というそこでしかできない治療法で治療していると書いてあった。 阪大の主治医に紹介状をかいてもらい、播種で腫瘍が悪化している七誠の治療は、東京の国立がん研究センターですることになった。 担当医は眼腫瘍科長の鈴木茂伸。 眼腫瘍科といっても常勤は鈴木の他に一人いるだけだ。 この鈴木をたよって全国から網膜芽細胞腫の新生児をかかえた母親や父親が藁にもすがる思いで、がんセンターの門を叩く。 大阪に住む麻衣子もその一人だった。 眼動注は、阪大でやっていたような全身の抗がん剤をつかうのではなく、直接抗がん剤を網膜芽細胞腫にあてる、というやりかたである。 どうやって? まず全身麻酔で患児を眠らせる。そして足のつけねから太いカテーテルをいれて、心臓→大動脈→脳→眼動脈の分岐の先まで、太いカテーテルを進める。そのカテーテル内にさらに細いカテーテルを通しその分岐の地点までもっていく。細いカテーテルの先には風船がついている。そのバルーンを膨らませ内頸動脈からの血流を一時遮断する。その合間をぬって抗がん剤をカテーテルに注入し、網膜芽細胞腫に直接浴びせる。 このやりかたは、鈴木の前任である金子明博が確立した治療法だが、高度の手技を必要とする。しかも、抗がん剤としてもちいられる「メルファラン」という薬剤が、網膜芽細胞腫には保険適用されていない。そしてこの「眼動注」という手技自体にも保険適用がされていない。 網膜芽細胞腫の日本での患者数は年間でも約70人~80人の超希少がんである。そしてだからこそ国立がん研究センターでは、この「眼動注」という手技も「メルファラン」という抗がん剤もがん研究センターが費用を負担している形をとっている。 それが、国立がん研究センターが、日本で唯一「眼動注」のできる病院である理由だ。遺伝病の連鎖を断ち切る唯一の方法か この「眼動注」は全身麻酔で行うので七誠はがん研究センターに数日入院する。2017年3月から「眼動注」は始まるが、これを1カ月に一回腫瘍をおさえこむまでやるのである。往復の新幹線代もばかにならない。七誠が生まれてから、長男の慶士の面倒は夫にみてもらっていたが、2016年の年末には、ささいなことから大げんかにもなった。 七誠はもうすぐ1歳になる。 麻衣子は、がんがおさえこめれば視力はたもたれると考えていたが、阪大の医者や国立がん研究センターの鈴木茂伸は否定的だった。視力はのこせてもせいぜい0・01といったものになるだろうとの診断を聞き、絶望した。 普通に見ていると七誠の瞳は黒々と自然だ。物が見えていないとはわからない。 しかし、言葉を習得していない乳幼児の段階では、そもそも見えているのか、見えていないのか、どのような見え方をしているのか推測するしかないのだ。 そうした修羅場のなか、「着床前診断」についてはとっかかりとなるできごともあった。 これまでずっと断られ続けてきた「着床前診断」だが、「あずからせてください」と検討する姿勢をみせてくれた病院があったのだ。灯台もと暗し。それは、麻衣子が慶士や七誠の体外受精をおこなったIVFなんばクリニックだった。 IVFなんばの院長は、慶士が生まれるまえに「着床前診断」について相談した際の院長から広島大学出身の中岡義晴にかわっていた。 この中岡と遺伝カウンセラーの庵前(あんまえ)美智子が麻衣子の話を聞いた。「私の家は四人きょうだいで、いつも賑やかでした。そうした賑やかな家庭を築きたいと子供は最低でも三人はほしいと思っていたんです」 そう第三子を希望する麻衣子。七誠の現在進行形の治療の過酷さも、中岡や庵前はじっと聞いている。 中岡は、「着床前診断」をやれるかどうかは、日本産科婦人科学会(日産婦(にっさんぷ))が決めることになること。しかし、網膜芽細胞腫でこれまで認められたことは恐らくないことを説明したうえで、「あずかりましょう」と言ってくれたのだった。 麻衣子には、そもそも学会がなぜ「着床前診断」をやるかやらないか決めることになるのかからわからなかったが、「よろしくお願いします」とすがるしかなかった。 実は、IVFなんばは日本産科婦人科学会から、着床前診断の実施施設として承認をされたばかりだった。 しかし、実施施設として承認はされていたが、IVFなんばがやるやらないを決められるわけではない。日産婦に申請をして認められれば、「着床前診断」ができるということなのだ。 しかも日産婦からの情報は極端に制限されていた。日産婦の中の「着床前診断に関する審査小委員会」(審査小委員会)という組織で、申請されたケースについてやっていいか駄目なのかを審議しているということまではわかったが、どのような規準でその諾否を決めているのか、その議事録が一切公開されていないので、わからなかった。 日産婦の執行部に近い医者にIVFなんばの中岡が聞くと、これまで認められてきたのは、「成人に達するまでに死にいたるような重篤な遺伝病」だけだということだった。 そうだとすると、そもそも網膜芽細胞腫は適応外だ。なぜ、日本だけがかくも厳しいのか? 実は、2016年の段階で、アメリカやイギリスでは、網膜芽細胞腫のカップルの着床前診断は、ごく普通に行われていた。EUの各国でもそれは同じだった。 なぜ日本だけがかくも厳しい規制を、しかも民間の学術団体がしいているのだろうか? 私が、この問題を取材することになったきっかけは、『アルツハイマー征服』という前著で、遺伝性アルツハイマー病の人たちがいかに過酷な運命を生きているかを知ったことにあった。 その家系に生まれれば、50パーセントの確率で遺伝し、遺伝すれば、40代という若年でアルツハイマー病を発症する。 私が追ったのは日本の青森の遺伝性アルツハイマー病の家系だったが、その家系で発症前のある女性は、英国で行われた遺伝性アルツハイマー病の家系の人たちの集会で、45歳で発症した母親の人生を切々と語ったうえで、こんなことを研究者や製薬企業の社員に訴えたのだった。〈最後に、私のいとこ、いとこたちのお母さん、おばが私に言ったことをお話ししたいと思います。 おばは私に、「あなたは好きな人と結婚して、子供を産んでほしい」と言いました。 私は自分よりも若い世代の人たちに自分の将来や結婚や出産について、遺伝のことを気にせずに選択できるような、そんな日がくることを皆様にお願いします〉「この遺伝という桎梏(しっこく)の鎖を断ち切れる方法がある」 そう、米国の遺伝性アルツハイマー病の研究者は私に言った。アメリカでは遺伝性アルツハイマー病の変異をもつカップルは、その方法をとることもあると。それが私が「着床前診断」のことを知った最初だった。 そうなのか、それならば日本でも、と麻衣子と同じように期待した。 しかし、ちょっと調べてみて、そもそも遺伝性のアルツハイマー病は発症が40代以降であるから、「成人に達する前に死にいたる」という日本の厳しい規制にはあてはまらないことがわかった時、麻衣子と同じように「なぜ?」と思った。 なぜ、日本だけにかくも厳しい規制が厳然としてあり、遺伝病に苦しむ人々はその選択肢をとることができないのか? そのことを知るためにも、あるダウン症の女の子の話をしよう。 ダウン症は遺伝するものではない。 しかし、20歳まで生きたその子の話をすることが、多少まわり道となっても、複雑にねじれてしまった遺伝病患者と障害者のこの長い物語を理解するうえでとても重要だからだ。 その子は、1999年2月15日、神奈川県立こども医療センターで生まれた。 その病院では年間500人の新生児が生まれるが、そのうち200人が何らかの先天的疾患をもって生まれてくる。 そういう病院だ。 ◇証言者野口麻衣子、野口集平、鈴木茂伸、中岡義晴【次回】長女にダウン症と合併症 知らされなかった両親は手術を拒絶した