コラム・寄稿若年認知症を家族に告白した男性 「俺はまだ生きていていい」精神科医・松本一生印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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認知症は、自身が「物忘れしやすくなった」と感じる人もいれば、自分は全く気づかず、周囲の人が様子が変わったことに気づくこともあります。それが、認知症の早期発見、早期対応が難しくなる理由でもあります。今回は認知症が始まるときに、これまでとは違う自分に気づいた、中山雅彦さんの話を紹介します。個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介します。多忙だった57歳の時、仕事で感じた違和感 彼に出会ったのはもう10年も前のことです。私が60歳になる直前、当時57歳だった彼はその方面では名の知れた専門部品会社の役員として忙しい日々を送っていました。しかし会社の業務に支障をきたすことが増え、人事担当役員の彼にクレームが集中してしまいました。中山さん自身もそのような周囲の雰囲気を肌で感じ、「自分が何か変なことをしているのではないか」と思う気持ちと、「自分が頑張らなければ会社が困る」と思う気持ちが入り乱れ、自分から大学病院を受診したいと考え「物忘れ外来」を受診しました。 丸一日かけて外来受診を終え、さらに数日かけたMRI検査や心理検査の結果、診断名はアルツハイマー型認知症でした。病名告知をひとりで受けたいと思っていた中山さんは、告知の恐怖と向き合いました。会社は家族には何の連絡もしていませんでしたので、妻(当時42歳)、ふたりの息子(同17歳と13歳)、そして同居する彼の父(同82歳)は中山さんの状況を知る由もありません。家族にも言えず、誰に相談…この先の人生は? さて中山さんは困りました。これまで自分一人で家族を支えてきたため、「誰かに支えてもらう」ことには慣れていません。誰に相談すればよいのかわからず困ってしまいました。大学病院で彼を担当した医師は私の1年後輩で中山さんとも年が近く、その医師の勧めで彼の診療は以後、私が診療所で引き受けることになりました。担当医は私に彼の「心理療法」を求めました。会社の中枢として頑張ってきた人が、若年性認知症(65歳以下)と診断されました。妻や子どもはまだ若く、この先の人生をどうするか、年老いた父親はまだ元気とはいえ、今後のケアも含めた人生設計が必要です。 初めて出会ったときの中山さんは、こちらが(精神科医として慣れているはずなのに)気の毒に思ってしまうほど、意気消沈していました。気鋭の中小企業をこれから引っ張っていくつもりだった彼の希望や夢は、今回のアルツハイマー型認知症という診断名で一気に消え去ってしまいました。大切なのは「ともに考えること」 私は、抗うつ薬、睡眠導入剤といった治療法を選択しませんでした。突然、認知症と告知された彼にとって、気持ちの沈みや絶望感、将来への困惑は、むしろ「あたりまえの心の反応」であると思ったからです。もちろん、あまりにも症状がひどくなり、自死の気持ちが出てきた場合には、薬や入院も頭の隅に置きながら中山さんと向き合うことにしました。 彼と私は同世代として話が合い、私も子育てを終えた時でしたから、悩みや子供の将来、経済面など、共に考えることができました。治療や診療ではなく、共に考える時間を取ることが彼には最も大切でした。 幸いなことに半年後、彼の認知症はそれほど悪くならず、彼の自己決定として家族に自分の病気のことを話したいと言ってくれるまでになりました。彼の気持ちが落ち着いてからは抗認知症薬の服用も受け入れてくれました。蛭子能収さんの異変、気づいたマネジャー 認知症と共に歩む「友達」■家族への告知 「診察室で…この記事は有料記事です。残り1206文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






