近代医学の礎築き、諭吉看取った医師 生地の建物残そうとクラファン2026年6月2日 6時00分小西孝司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した江戸期の医者として華岡青洲(1760~1835)が知られるが、今の和歌山県紀の川市が生んだもう一人の偉人の医者に、松山棟庵(とうあん)(1839~1919)がいる。福沢諭吉の主治医を務め、近代医学の発展に尽力した。荒れ果てたゆかりの建物や敷地を整備しようと、親族の男性が数年前から取り組んでいる。 紀の川市桃山町神田の住宅街。予備校の英語講師、松山忠弘さん(61)が頭にタオルをまき、雑草を取っていった。これまで、庭に積まれていた廃材を取り除いて樹木を植え、土の上に割った廃瓦を敷き詰めてきた。ただ、木造平屋の母屋「黄雨楼(こううろう)」の本格的な補修はこれからだ。 「日本の近代医学にとって大事な場所。それを感じられる場所が失われないよう、守りたい」 忠弘さんは、棟庵の兄、管吾の子孫にあたる。 棟庵は医師だった父の四男として旧神田村に生まれた。京都でオランダ医学を学んだ後、帰郷し開業した。その後、福沢諭吉の塾に入門し、英医学を習得した。 福沢が米国から持ち帰った医学書を翻訳し、「窒扶斯(チフス)新論」として出版。日本初の英医書の翻訳となった。1873年に福沢と慶応義塾医学所(慶応大学医学部の前身)を開き、初代校長となり、福沢の臨終にも立ち会った。「東京開業医師集会」(後の日本医師会)を創立し、東京慈恵会医科大の前身の創設にも関わった。 黄雨楼は医者や郡長を務めた兄の管吾が1888年に建て、自身の号にちなんで名付けた。棟庵の生家や複数の離れ、蔵はすでにないが、棟庵は東京から帰省するたびに黄雨楼を訪れたという。忠弘さんの祖母が住んでいたが、1970年代に離れた後、空き家になった。 忠弘さんは、子どもの頃に泊まった思い出のある黄雨楼が荒れ果てていくのは忍びず、2022年から和歌山市の自宅から通って整備を始めた。 屋根に複数の穴が開いていたり、大黒柱がシロアリに食われていたり。これまで400万円以上をかけて補修した。だが、建物の本格的な整備に5千万円は必要という。 将来、黄雨楼の一般公開や資料展示、心と体の健康をテーマにした活用などを夢に描き、5月からクラウドファンディング(CF)を始めた。 「棟庵は東京にいたためか、和歌山では華岡青洲に比べて地味で知られていない。僕が生きている間に何とかしたい。少しでも多くの人の力をいただければ」 CFの目標額は100万円で、6月15日まで。金額に応じて記念グッズやモモ、棟庵の生誕地案内などの返礼品がある。支援はCFサイト「キャンプファイヤー」で。忠弘さんは活動をインスタグラム(@matsuyamatoan.project)で紹介している。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






