コラム・寄稿古代から近現代につながる「底力」 奈良・宇陀松山地区の魅力語る印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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古い街並みを残す奈良県宇陀市の宇陀松山地区。戦国時代に宇陀松山城の城下町として栄え、江戸時代には大坂と伊勢を結ぶ交通の要衝の立地を生かし、商家町として発展しました。奈良県大淀町教育委員会の学芸員、松田度さんに、この宇陀の魅力について語っていただきました。 国道169号(旧伊勢南街道)沿いに家並みが続く、吉野郡大淀町越部(こしべ)。江戸時代は和歌山(紀州徳川)藩の支配地でした。秋山家は、越部で藩の本陣を務めた旧家ですが、もともとは宇陀松山(現・宇陀市大宇陀)にあった山城を本拠とする、南朝の郷士だったと伝えます。近鉄大阪線の榛原駅から、桜並木の続く宇陀川をさかのぼり、秋山家のルーツを訪ねてみました。 古い街並みを残す宇陀松山地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。大阪と伊勢を結び、熊野にも通じる交通の要衝に町家が連なる商都で、「松山千軒」と呼ばれました。吉野の国栖(くず)地域で漉(す)かれた伝統的な和紙を「宇陀紙」というのも、その問屋が宇陀松山に集中していたからでした。また、吉野葛の製造元として著名な森野家の店舗の裏山には、江戸時代から続く「森野旧薬園」があり、約250種におよぶ薬草木の宝庫となっています。 この宇陀松山地区を見下ろす古城山(しろやま)の頂上に、整備された国史跡の宇陀松山城跡があります。見渡せば360度、宇陀や吉野の山並みが一望できます。天守閣は、江戸時代の初期に破却されていますが、当初の石垣や土塁などがそのまま残されています。この山城が、室町時代に「阿紀(あき)(秋)山城」と呼ばれた秋山氏の居城でした。大正まで続いた猿楽の奉納 「阿紀」は付近一帯の古い地…この記事は有料記事です。残り607文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






