鉄道は、宇陀松山に来るはずだった 学芸員が調べた幻の計画の行方は井上秀樹印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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奈良県宇陀市で100年ほど前、現在の市内を縦貫する鉄道が計画されていた。松山線、大宇陀鉄道と名を変えた、記録も記憶も乏しい幻の路線だ。なぜ生まれ、途絶えたか。ある学芸員が経緯をたどった。 石橋諒さん(28)は城が好き。高校時代、香芝市の自宅から宇陀松山城を訪れたとき、近鉄とバスを乗り継ぐのに手間取った。「江戸時代から続く重要な街なのに、何で鉄道がないんやろ」と疑問だった。大学生のとき、現在の宇陀市役所がある旧榛原町から旧大宇陀町を経て吉野町へ向かう鉄道が予定されていたと知った。 県立民俗博物館に勤めていた2023年秋、ある催しで年配の男性と雑談した。閉校した大宇陀高校(現宇陀高校大宇陀学舎)の話になった。「ここまで衰退したんか。昔は鉄道計画に反対するぐらい力があったのに」。学生時代の記憶が呼び戻された。 もともと鉄道好き。「面白そうやな。全国にある、地元の反対で別ルートになったのかな」。調べてみると、宇陀市には記録がほとんど残っていない。国立国会図書館などから関連資料を見つけ、全容がみえてきた。 始まりは1894(明治27…この記事は有料記事です。残り1484文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人井上秀樹奈良総局専門・関心分野寄席演芸、舞台芸術、大衆芸能関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






