ストーリー第10回「ママを幸せに…」命奪った長男が残した言葉 法廷で母親は悔やんだ松浦祥子 長富由希子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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「自分は自分、子どもは子どもの人生があると考えなければいけなかった」―― 自らの子ども2人を殺した罪に問われた母親は、法廷で過ちを悔やんだ。もう「心中」と呼ばない 国の専門委が変更 「子殺し覆い隠す」批判 2024年春、兵庫県内の河川敷に止めた車の中で、27歳の母親が練炭に火をつけ、10歳の長男と3歳の長女を道連れに自殺を図った。 2人の子どもは亡くなり、母親だけが生き残った。 母親の裁判は今年2月、神戸地裁姫路支部で開かれた。確定した判決や被告人質問などから、事件の経緯をたどる。 母親は17歳で長男を生んだ。長男の父親は出産前に亡くなった。 勉強も友達付き合いも苦手で、高校は退学していた。両親の離婚をきっかけに、中学時代からリストカットを繰り返していた。 長男を保育園に預け、建設現場や飲食店、パチンコ店で働いた。 その後結婚し、24歳で長女を生んだ。給料の高い仕事を探し、納棺師の仕事に就いたが、人間関係に苦しみ、長くは続かなかった。パチンコ店に仕事を変えた。 長男は小学校に入学後、発達障害のグレーゾーンと指摘された。療育施設のアドバイスを参考に接し方を工夫するなど、育て方に気を配った。 このころ、夫に勧められ、一度だけ心療内科を受診したことがある。事件後に提出された当時のカルテには「うつ病・不眠症」と書かれていたが、投薬や通院には至らなかった。 23年秋、夫と離婚し、子どもを連れて家を出た。 事件後に受けた検査で、母親には軽度の知的障害があることがわかった。 親族から生活費を借りながらの暮らしは、次第に余裕を失った。 精神不安定な状態が続き、ほどなくして仕事に行けなくなった。「一緒に行くしかない」 思い込んだ母親 長男の小学校が春休みに入る…この記事は有料記事です。残り2052文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人松浦祥子大阪本社ネットワーク報道本部|豊中支局専門・関心分野教育、社会的養護、地域の話題長富由希子大阪社会部専門・関心分野社会保障、人権、精神疾患、原爆印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






