インタビュー飛鳥で「八角墳」が造られた理由は 考古学者に聞く世界遺産の古墳論塚本和人印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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7月末にユネスコの世界文化遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都(きゅうと)」は、奈良県明日香村を中心に飛鳥時代の19カ所の遺跡群で構成される。そのうちの7カ所が古墳で、7世紀の天皇陵に特徴的な八角形の古墳(八角墳)も3カ所含まれている。八角墳を発掘した経験がある村教育委員会文化財課長補佐の西光(さいこう)慎治さん(55)に、八角墳造営の意義や背景を聞いた。 世界遺産に登録された八角墳は、いずれも村内に位置する野口王墓(のぐちのおうのはか)古墳(伝天武(てんむ)・持統(じとう)天皇陵)、牽牛子塚(けんごしづか)古墳、中尾山(なかおやま)古墳の三つ。 牽牛子塚、中尾山の両古墳は、宮内庁が管理する天皇陵ではないが、女帝の斉明(さいめい)天皇(在位655~661年)と、日本初の本格的な法典「大宝律令」を制定・施行した文武(もんむ)天皇(同697~707年)の墓だったとみる説が有力だ。西光さんは、この二つの八角墳の発掘調査と整備を担当している。なぜ八角形が採用されたのか 八角墳は中国大陸や朝鮮半島にみられない日本独自のスタイルだ。 西光さんによれば、古代中国…この記事は有料記事です。残り1160文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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この記事を書いた人塚本和人橿原支局長|寺社・文化財専門・関心分野歴史、考古学、外交、国際関係関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする