コラム・寄稿飛鳥の宮殿の南に「ミハ山」 歴史地理学から探る都づくりの秘密印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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奈良県明日香村を中心に点在する19カ所の飛鳥時代の遺跡群で構成される「飛鳥・藤原の宮都(きゅうと)」が、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。その飛鳥・藤原の景観と都づくりについて、歴史地理学者の千田稔・県立図書情報館長に寄稿していただきました。 7月末に韓国・釜山で開かれた世界遺産委員会で、「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録されることが決まりました。その飛鳥・藤原の都づくりにとって重要な「カムナビ」について、今回も歴史地理学の手法で考えたいと思います。 前回、古代の奈良盆地には、南北に縦断する三つの道のほか、飛鳥から斑鳩(いかるが)に斜め方向に走る「太子道(たいしみち)」もあることを紹介しました。奈良盆地を東南から西北に斜めに横切ってまっすぐに伸びる道です。 その方位に従って補助線を飛鳥の方に引くと、ほぼ正確に明日香村の橘寺(たちばなでら)の南側に位置する「ミハ山」に至ります。 太子道が正方位の北から西に約20度ふれた方位を走るのは、飛鳥から見ると、それは聖徳太子(厩戸皇子(うまやとのみこ))が造営した斑鳩寺と斑鳩宮の方位にあたり、飛鳥では推古女帝の最初の宮殿である豊浦(とゆらの)宮(みや)の方位でもあります。隋の使節迎えた女帝・推古天皇の思惑とは 7世紀後半に天武天皇(在位…この記事は有料記事です。残り700文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする