ストーリー奥村智司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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2025年10月に101歳で亡くなった村山富市元首相が大分市の自宅に残した書類から、阪神・淡路大震災が起きた1995年1月の日記が見つかった。情報が錯綜(さくそう)する中、被害の拡大に焦りを募らせながら指揮にあたった状況が浮かび上がる。6千人を超える死者が出た災害に対応したトップの心情を伝える貴重な資料だと研究者は指摘する。 村山氏の日記は25年11月、自宅の遺品を整理していた次女の中原由利さん(69)が書斎の机に積まれた書類から見つけた。95年1月1日から27日まで、B5判ノートに16ページにわたってつづられている。 社会党委員長として自民、新党さきがけとの連立に踏みきり、首相の座に就いた村山氏を、首相公邸に入って支えていた中原さん。「日記を書いていたことは知らなかった」と言う。 最大震度7の揺れが市街地を襲った阪神・淡路大震災の発生は1月17日午前5時46分。この日の1ページ余の日記は、村山氏が「朝6時過ぎのNHKテレビ」で発災を知り、秘書官へ連絡したところから始まる。 複数の秘書官のうち村山氏に情報を入れたとの記載があるのは、父親が亡くなって福岡県に戻っていた金重凱之(よしゆき)秘書官のみだ。「7.30過ぎに金重秘書官より連絡あり 相当広範囲で被害が出た模様」 「7.40頃 官房長官より連絡」 この時点で地震発生から約2…この記事は有料記事です。残り1181文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人奥村智司西部報道センター|論説委員補佐専門・関心分野安全保障/エネルギー/水俣病/カネミ油症関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする