こだわり続けた「アジアの中の日本」 村山元首相が残したメモの数々専任記者・藤田直央印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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昨年に101歳で亡くなった村山富市元首相が大分市の自宅に残し、遺族により母校の明治大学へ寄贈された文書に、対アジア外交を憂える数々のメモがあった。小泉純一郎首相の度重なる靖国神社参拝や安倍晋三首相の戦後70年談話への思いのほか、日本の針路への直言が記されている。 大学では7月から寄贈資料の整理に着手。別の資料の裏を使った一連のメモ書きや、手帳、ノートなど数百点で、段ボール十数箱分になる。資料の散逸を危ぶむ小西徳応(とくおう)教授(政治学)が、生前の村山氏に寄贈を働きかけていた。 社会党委員長だった村山氏は、1994年に自民党などとの連立政権で首相となり、戦後50年となる95年にアジア諸国への侵略など日本の戦争責任を反省する談話を出した。首相退任後もたびたび訪中するなど、議員外交による信頼醸成に努めた。 村山氏は戦後60年の2005年には、当時首相だった小泉氏の靖国神社参拝への懸念をメモにしていた。小泉氏は01年の首相就任から毎年、先の戦争のA級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社に参拝。05年春には、国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指す小泉内閣の動きをきっかけに、中国各地で反日デモが起きていた。 村山氏は、訪中での市民との交流もふまえて「反日感情の底流には靖国問題が大きく存在」「今年は戦後60年の節目。また靖国神社に行ったら(中国の反発は)こんなものではすまない」などと記していた。 小泉氏は05年も06年も参拝を続けた。村山氏の06年のメモには、日本の戦争責任に関する教育における日中間のギャップを指摘し、相互理解のために村山談話を出したとしたうえで、「10年後の今日、日本はやや孤立」と行く末を危ぶむ記述があった。 このメモでは「日本がアジア…この記事は有料記事です。残り724文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人藤田直央専任記者|現代史・憲法・公文書専門・関心分野日本の内政・外交、近現代史関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






