家族への感謝を「空想画」に託し戦地へ 一握の砂だけが戻った2026年8月11日 12時00分日比野容子印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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戦地に赴き、志半ばで亡くなった画学生の絵を展示する美術館「無言館」(長野県上田市)が所蔵する絵の複製画32点が、世界人権問題研究センター(京都市下京区)で展示されている。最愛の家族やふるさとの風景を描き、戦地へ旅立った人の絵を通して、戦争とは何か、改めて考えてほしいと企画した。 伊澤洋「家族」は、全国の遺族のもとを訪ね歩いて絵を集めた無言館館主の窪島誠一郎さん(84)にとって、忘れ得ぬ作品の一つだ。 紅茶の入ったティーカップと果物が置かれたテーブル。ソファに腰かけ、蓄音機から流れる音楽を聴きながら、くつろぐ父母と兄妹。その様子を満足そうに眺めながら絵筆を執る自身の姿も描かれている。 絵の内容からは、裕福な一家と思われた。しかし、窪島さんが遺族から聞いた話は予期せぬものだった。 「うちは貧乏で、朝から晩まで泥だらけになって畑で働いていた。こうあってほしいと想像して描いた空想画、でしょうかな」 一家は、家宝にしていた庭のケヤキの大木を処分して、東京美術学校(現・東京芸大)の学費を工面した。洋が立派な絵描きになってくれることが一家の夢だったという。 そんな家族への感謝を1枚の絵に託し、洋は1941年に出征。26歳の時、東部ニューギニアで戦死した。遺族のもとに戻ってきたのは、白木の箱に入った一握の砂だけだった。 興梠武「編みものする婦人」は、最愛の妹を描いた作品だ。画学生の作品は戦後の長きにわたり遺族の手元にあったため、保存状態は必ずしもよくない。窪島さんが宮崎県延岡市の遺族を訪ね、納戸からこの絵を出してもらった時、絵から絵の具のかけらがはらはらとこぼれ落ちたという。大切に19時間かけて長野まで運び、修復画家の手にゆだね、よみがえらせた。 丸尾至「釣り人のいる風景」は、平穏な日常の一コマを切り取った作品だ。丸尾は知識欲が旺盛で、東京帝国大学(現・東大)文学部で学んだ。戦地から家族へ届いた軍事郵便には「岩波文庫であればどんな方面の本でもよいから集めておいてほしい。何年か後にそれを読む日を楽しみにして、軍務に励みたい」と書かれていたという。しかし、終戦後まもなく、中国の陸軍病院で亡くなった。 入場無料。9月18日まで。土日祝は休館だが、8月22日、9月12日は開館する。午前9時~午後5時。 9月12日には作品を見て感じたこと、疑問に思ったことなどを参加者同士で共有する「対話型鑑賞会」も企画している。問い合わせは、世界人権問題研究センター(075・585・5897)へ。京都には「分館」も 無言館 太平洋戦争などで亡くなった画学生の絵画作品など約900点を収蔵し、常時150点ほどを展示している。立命館大学国際平和ミュージアム(京都市北区)には、無言館の京都館がある。館主の窪島誠一郎さんが画学生48人の作品の背景に迫った本「『無言館』のうた」がこの夏、新日本出版社から刊行された。税込み2420円。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません