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始まりは、ケーキだった。目の前のことに一生懸命でいたら、つながった縁。商業デザイナーだった小野千尋さん(66)は、「不思議な巡り合わせ」を振り返る。 美大を目指す浪人生だった20歳の時だ。「開店前に来られる?」。毎朝ショートケーキを作る手伝いを、バイト先の喫茶店で頼まれた。大の甘党で、迷うことなくうなずいた。それが、将来への道をひらくとも知らずに。 毎日、朝から十数個の卵を攪拌(かくはん)し、直径30センチのスポンジケーキを焼いた。桃缶や栗の甘露煮でアレンジを加え、削ったチョコで飾りつけて見た目にもこだわった。 常連さんから「今日は何?」と声がかかる。泡立て器を握る右腕はパンパン。絵筆をうまく持てなくなったが、気にならなかった。トップクラスの県立高校を経て その4年前。千葉県トップクラスの県立高校に入った小野さんの日々は色あせていた。 父子家庭で、自転車で通える公立校を目指して合格したものの成績は低迷。美術部でも仲間の輪に入れず、1年で退部した。 誰とも関わりたくない。放課後に自転車であちこち行っては風景画を描いた。やがて本格的に絵やデザインを学びたい、と思った。 会社員の父親は反対した。「絵なんて現実的じゃない。建築学科はどうだ?」。建築に興味はなかったが、父を説得できる気もしない。あいまいな態度を取りながら、高校3年になってすぐ、新聞配達を始めた。自力で東京芸術大学を目指そうと思った。 予備校に通わず、自室でデッサンや油彩画に励む日々。志望する油画専攻は倍率40倍以上で、入試では年上に見える受験生も多かった。「こういうもんだ」と妙に安心してしまい、結果は不合格。 浪人生活に入り、画材を安く手に入れようと画材店でバイトを始めた。町工場での夜の力仕事、零下20度のアイス工場での仕分け作業とバイトを増やすうち、2浪目に突入した。父親とは顔を合わせないよう過ごした。 「久しぶり、何やってるの?」。ある日、夕刊を配り終えてパチンコに向かう途中、大学生になった高校時代の友人に声をかけられた。「……ちょっと、マスコミ関係」。言いよどむ小野さんに、察したのか、友人が言った。「時間があるならパルコで働かない?」 高校時代にJR総武線の津田沼駅前にでき、おしゃれと話題の津田沼パルコ。「かわいい子もいっぱいいるぞ」と誘われ、すぐに電話番号を登録した。パルコでの日々 センスを聞きつけてきた人から・・・ 最初は館内のパブレストラン。休みなく働き、カクテルも任された。すると「君、ずっといるよね」と、別の喫茶店に声をかけられ、空き時間にサンドイッチを作ることに。その店でケーキ作りを打診されたのは、それからしばらくした頃だった。 厨房(ちゅうぼう)からお客さんの反応を見て次の案を練る。「仕掛ける」充実感。頼りにされるのもうれしくて、美大への執着は薄れていった。 東京のデザイン会社の部長が店に来たのは、浪人3年目の頃。パルコなど商業施設の装飾を手がける会社で、ケーキのデコレーションや手描きのメニューなど、小野さんのセンスと働きぶりを聞きつけたという。 「君、こういうことに興味あるの? 専門学校に行った?」 エプロン姿でうつむく小野さ…






