インタビュー収蔵庫で見つけた法隆寺壁画の模写 大英博物館で研究、彬子さま語る構成・田中ゑれ奈印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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東京・上野の東京都美術館で開催中の「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱(りょうらん) 海を越えた江戸絵画」展(朝日新聞社など主催)。コレクションの礎を築いた19世紀のコレクター、ウィリアム・アンダーソンに詳しい美術史研究者の一人が、三笠宮家の彬子さまだ。今展には、彬子さまが英国留学時代に再発見した貴重な作品も出品される。眠っていた、法隆寺壁画の模写 《展覧会の目玉の一つが、英国からの初里帰りとなる「法隆寺金堂壁画九号壁模本」。2007年、大英博物館でコレクションを調査していた彬子さまが再発見した作品だ》 大英博物館の収蔵品のうち、9割ほどは展示されていません。一部の名品と呼ばれるものは表に出るけれど、それ以外の大量の作品群は、誰にも存在を把握されないまま収蔵庫に眠っていることも多いようです。海を渡った応挙の虎、歌麿の遊女が里帰り 25日から大英博物館展 ある日、コレクションのカタログを整理していて、法隆寺の壁画の模写があることに気がつきました。そんな話は聞いたことがなかったのですが、収蔵庫を探したところ本当に作品が出てきて。 閉館後の展示室で広げてみたとき、まさしく法隆寺金堂壁画の九号壁「弥勒(みろく)浄土図」の模写であることがわかりました。当時の大英博物館日本セクション長だったティム・クラーク先生と2人、「これはすごいものを見つけてしまったかもしれない」と、互いに心の中で感じていたと思います。 カタログの書き込みなどから、この模写は、外交官のアーネスト・サトウが桜井香雲(こううん)という絵師に依頼して描かせ、アンダーソンに贈ったものだということがわかりました。サトウは法隆寺金堂壁画の素晴らしさに感銘を受け、英国に持ち帰りたかったのでしょう。 作品としての第一印象は「よく描けているな」ということでした。色使いは粗いけれど、輪郭線はとてもきれいに取ってあります。当時は引き延ばした写真を使って模写をするような技術がないので、壁に直接紙を貼って写したのだろうと、大英博物館の修復士の方がおっしゃっていました。文化財保護の大きな一歩 《1880年に九号壁を模写した数年後、香雲は農商務省博物局の依頼で金堂の残りの壁画を模写し、作品は現在の東京国立博物館に収められた。壁画は1949年の火災で大きく焼損、今は再現壁画が置かれている》 サトウが香雲に描かせるまで、絵師自身の技術向上ではなく作品の保存・記録のために文化財を模写するという考えは、日本にあまりなかったと思います。模写によって今この時の状態を後世に残せると人々が気づいたきっかけが、香雲の模写事業でした。 昭和初期に金堂壁画の保存方法が議論され、模写と写真撮影をすることになったのも、香雲の模写事業が博物館関係者らの間で知られていたからでは。この昭和の模写が、火災後の再現壁画の制作に役立ったことを考えれば、原点である九号壁の模写は日本の文化財保護の歴史における大きな一歩だったと言えます。 ところで私見ですが、初めにサトウが香雲に模写を依頼した際、九号壁だけ描かせたのは少し解せないのです。金堂壁画で最も美術史上の評価が高いのは、六号壁ですから。 もしかしたら、サトウは九号…この記事は有料記事です。残り2517文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人田中ゑれ奈文化部専門・関心分野美術、ファッション、ジェンダー関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする