東京・神保町にある韓国書籍専門店「チェッコリ」店主で、出版社「クオン」社長の金承福さんが、韓国カルチャーについて語るコラムです。今回は、金さんの寄稿です。

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韓国初のノーベル文学賞作家、ハン・ガンさんが営んできた小さな本屋「本屋今日(책방오늘)」が、この7月、8年間の営業にいったん幕を下ろした。このニュースを知って、東京・神保町で韓国書店「チェッコリ」を営む私は、他人事とは思えなかった。 ハン・ガンさんは2018年、ソウルの良才洞(ヤンジェドン)に本屋を開き、十坪ほどの小さな空間で、自ら本を選び、朗読会や読書会、展示などを続けてきた。 ある雨の日の朗読会では、木造の屋根に激しく雨音が響き、まるで世界に自分たちだけが残されたようだったという。彼女はそのときの「一緒にいるという感覚」がよかったと振り返っている。 本屋とは、もしかすると、そんな「一緒にいるという感覚」をつくる場所なのかもしれない。 ところが、その場所は建物の売却と退去要請によって失われることになった。ノーベル文学賞は一人の韓国人作家を世界的な存在にしたが、その作家が大切に育ててきた十坪ほどの本屋を守ることはできなかった。なんとも皮肉な話である。 ソウルでは、魅力的な街に人が集まり、やがて地価や家賃が上がり、その街の魅力をつくってきた小さな店やギャラリー、本屋が去っていくことが繰り返されている。 人は「素敵な街」を探してやってくる。しかし、その街を素敵にした人たちがいなくなったあとに、何が残るのだろう。 実は、「本屋今日」とチェッコリには小さな縁がある。どちらも7月7日に扉を開いた本屋なのだ。 以前、私がいつか文芸誌をつくりたいと話したとき、ハン・ガンさんは「それなら私は本屋日誌を書きます」と言ってくれた。作家が本屋で出会った本や人、そこで流れた時間を、いつか読める日を私は楽しみにしていた。 今回、閉店を知って彼女に連絡すると、短い返事が届いた。 「ただただ耐えているところです」 そして、こう続いた。 「チェッコリは永遠でありますように」 その言葉を読んで、私は考え込んだ。本屋に「永遠」などあるのだろうか。 文化は、大きな美術館や立派なホールだけから生まれるものではない。誰かが小さな場所に本を並べ、毎日扉を開ける。そこへ誰かがやってきて、一冊の本を手に取り、ときには一緒に詩を読む。そんな何でもない「今日」の積み重ねが、街の文化をつくっている。 7月7日に生まれた二つの本屋。一つはいったん扉を閉じ、チェッコリは今年11歳になった。 永遠にはできないかもしれない。それでも、今日も扉を開けることはできる。本屋の永遠とは、案外、そんな「今日」の積み重ねなのかもしれない。 そして私はまだ、彼女の「本屋日誌」を読むことをあきらめていない。