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土用の丑(うし)の日。うなぎ屋さんの前には大勢の人が列を作ります。しかし、日本にはこの騒ぎと無縁の暮らしを送っている人たちがいます。地域に伝わる風習で、「ウナギを食べてはならない」とされているからです。(朝日新聞withnews編集部・山野拓郎)「ウナギを食べてはならない」きょうは土用の丑の日。しかし、生息数が減っているニホンウナギは絶滅危惧種に指定されています。これからもウナギの食文化やそのなりわいを守るためには、適切な保護や資源管理が欠かせず、絶滅の恐れがあるという理由でウナギを食べないという人もいます。一方で、ウナギの数が減るずっと前から、「ウナギを食べない」という地域の風習を守ってきた人たちがいます。岐阜県郡上市の「粥川(かゆかわ)ウナギ生息地」。国の天然記念物です。この地域には、古くから「ウナギを食べてはならない」という言い伝えがありました。記者は2018年に現地を取材で訪ねました。川の近くに、「この地域でのウナギの捕獲は禁止します」と大きく書かれた看板が立っていました。「粥川では古来よりウナギを神の使いとして大切にしています」という説明文も添えられていました。川にかかる橋は「うなぎ天国橋」。「水泳 漁獲 禁断」という掲示もありました。この地域で生まれ育ったという当時80代の男性は、「今までの人生でウナギを食べたことは一度もない。食べたいと思ったこともない」と断言しました。道案内をしてくれたウナギなぜウナギを食べてはいけないのでしょうか。男性によると、1千年以上前の「鬼退治」の伝承がもとになっているといいます。鬼が里に下りてきて人々を困らせていたため、京都から藤原高光という人が鬼退治のためにやってきました。山で道に迷ってしまいましたが、「虚空蔵菩薩」の使いであるウナギが現れて道案内をしてくれました。そのおかげで山頂にたどり着き、鬼退治に成功したというのです。高光は住民にウナギを大切にするよう言い残し、それ以来、地元ではウナギを捕ることをやめ、食べることもやめたそうです。住民がどれほどウナギを大切に思っていたかを示す資料があります。郡上市歴史資料館デジタルアーカイブで公開されているのは、地元の人々が戦前に作った「天然記念物粥川鰻群棲地の由来」という文書。「若しこの粥川の鰻を漁せるものありとせば神罰たちまち蒙り不吉不祥な災厄を受けるか(中略)神罰を蒙ること必然である」と書かれています。男性は、「災い」の一例を明かしました。ある住民が、地域の外で催された宴会に参加した際、その場で供されたウナギを食べてしまったと言います。すると、その住民の体にじんましんが出たそうです。ウナギを保護し続けた結果、戦前には川にたくさんのウナギが生息し、毎年夏になると避暑を兼ねてたくさんの観光客が訪れるほどだったそうです。男性は「子どものころは川でお釜を洗っていると、たくさんのウナギが寄ってきた」「エサをまいたら池のコイみたいにウナギが争って口をあけたものだった」と振り返りました。ただ、近年、ウナギの数はめっきり減ってしまいました。今回、郡上市教育委員会に確認したところ、この地域でのウナギの捕獲禁止は現在も続いているそうです。洪水から人々を救ったウナギ埼玉県三郷市にもウナギに関する言い伝えが残っています。「三郷の民話集」(三郷市教育委員会)に「こくぞうさまとうなぎ」というお話が収録されています。あるとき、地域が洪水に見舞われ、水にのまれた人々は丸太につかまって助かりました。しかし、よく見たら丸太だと思っていたのは実は何千、何万ものウナギの大群だったというもの。ウナギは、村にまつってある「虚空蔵さま」の使いでした。人々はウナギに感謝し、恩返しのためにウナギを食べないようになったそうです。堤防をふさいだウナギこのように、ウナギを虚空蔵菩薩の使いとみなし、「食べてはならない」と風習を守ってきた地域は日本各地にあります。東京都日野市四谷地区にも、ウナギを食べてはならないという風習があります。日野市ふるさと文化財課学芸員の金野啓史さんによると、ウナギを禁忌とした理由には「地区にある神社で古くから人々の信仰を集め続けてきた虚空蔵菩薩の存在がある」とのことです。四谷地区にある、創立年代不詳の「日野宮神社」。その社殿には、観音菩薩の姿をしているものの、地元の人たちからは虚空蔵菩薩として信仰されてきた「伝虚空蔵菩薩像」という仏像があります。ウナギは虚空蔵菩薩の使いとされているため、ウナギ自体もおそれ多いものと認識されるようになったといわれています。日野宮神社でまつられる伝虚空蔵菩薩像の長くうねった天衣(袖から垂れる長い布)も、ウナギの形を表したものと解釈されるようになりました。神社に仏像があるのは、江戸時代までは日本古来の神と大陸から伝わった仏を一体のものとして信仰する「神仏習合」の名残です。この地区でウナギを食べなくなった理由については別の伝承もあります。大雨で多摩川が増水し、堤防が決壊しそうになったとき、堤防の穴にたくさんのウナギが入り込んで水をせき止めて村を守ってくれたことから、人々がウナギに感謝し、食べるのをやめたとも言われています。金野さんによると、日野宮神社の氏子さんたちの間では、ウナギを食べない習慣が残っているそうです。「比較的高齢の方にお聞きすると、『食べない』『食べる気にならない』『食べたことがない』といった答えが返ってきます」外出先では食べることがあっても、地元では食べないという人もいるそうです。「誤ってウナギを食べて体調を悪くした、という逸話も伝わっています。どこまで厳格かは人それぞれだと思いますが、ウナギを食べないという禁忌習俗は、自分が日野宮神社の氏子であることを強く意識させていると思います」地域の人たちにとってウナギが大切な存在であることは、年代を問わないようです。日野宮神社の祭礼で氏子たちが着る法被には、ウナギをデザインした文様が染め抜かれているとのこと。金野さんは「ウナギの禁忌習俗がこれからも残っていくかはわかりませんが、ウナギが地域のアイデンティティーになっていることは確かだと思います」と話しました。根底にある「環境への思い」ウナギは万葉集に詠まれているほど古くから日本人に親しまれてきた食べ物です。漁村の文化に詳しい東海大学人文学部の関いずみ教授(漁村社会学)によると、日本には食用になる魚やイルカやクジラの命をいただくことへの感謝と鎮魂の念を示すために、「供養祭」を開いたり、供養するための碑や塚を建立したりする文化が根付いています。ウナギの供養祭や供養碑も日本各地に存在し、ウナギ観音やウナギ塚は、把握できているものだけでも東北から九州まで20基以上あるそうです。京都の三嶋神社で行われる「鰻放生(ほうじょう)大祭」という供養祭には、うなぎ屋さんや卸業者、養殖業者らが一同に参列します。神社には江戸時代から伝わる「禁食鰻文書」があり、氏子などの関係者はウナギを食べなかったそうです。関さんは「ウナギは地域にとって非常に重要な産物ということもあって、利用しつつ供養するという文化が定着したのだと思います」と指摘します。それぞれの地域でよく食べられていたり、重要な漁獲物になっていたりする生きものが供養の対象になりやすいそうです。「ウナギはかつて、小さな川や水路など身近なところにたくさんいて、誰もが捕って食べていたような身近な存在でした。身近にいるからこそ乱獲を防ぐため、未来永劫(えいごう)捕りつづけることができることを願って供養をしてきたのではないでしょうか」一方で関さんは、先人たちがウナギの供養を続けてきた背景には、単なる感謝にとどまらない「環境」への強い思いがあったのではないかと推察しています。「先人たちが明確に意識していたかは別として、ウナギを供養する背景には、ウナギがいる環境を守ることが、自分たちが生きていくために必要だと考えていたことがあるのではないかと私は考えています」と話します。ウナギがいなくなったり、とれなくなったりしたら、生息できる環境がなくなっているか、汚されているかということでもある――。「それは結局、自分たち自身の存在、生存にも関わってくるのだと、深層のところでみんなが認識しているからこその供養なのだと思います」ニュースが身近になるメディア「withnews」https://www.asahi.com/withnewsTikTokアカウント:https://www.tiktok.com/@withnewsYouTubeアカウント:https://www.youtube.com/@withnewschannel






