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堺O157集団食中毒から30年【後編】 30年前の夏に広がった病原性大腸菌O(オー)157による食中毒は、給食を食べた子どもらの体と心に傷を残した。 そして19年後、さらに1人が亡くなる。後遺症の懸念は、今も消えていない。 ◇ 台風が近づき、雨は断続的に降り続いていた。 6月26日、大阪府堺市のホール。 その女性は壇上で時折、嗚咽(おえつ)を漏らしながら、約190人を前に打ち明けた。 「私は、加害者の意識をぬぐえないままでした」 1996年7月、堺市で起きた集団食中毒。給食を食べた児童ら9523人が発症し、4人が死亡するに至る。 女性は当時、小学校の学校栄養職員。給食調理場の衛生管理などを指導する立場だった。 勤務先でも、多くの児童たちが感染したという。 この日は学校の管理職向けの研修会。教訓を伝えるため、女性が話すことになった。食材は常温 冷蔵庫も冷凍庫もなかった 女性が加害意識を抱くのには、理由がある。 堺市の集団食中毒より1カ月…この記事は有料記事です。残り1353文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人小田健司ネットワーク報道本部(大阪・堺支局)|地方行政や町ダネ、裁判など専門・関心分野権力監視、原発、公共事業、ボブ・ディラン関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






