ストーリー小田健司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
[PR]
堺O157集団食中毒30年【前編】 厚生相だった菅直人(79)はテレビカメラの前で、カイワレダイコンのサラダをたいらげてみせた。 1996年夏。 大阪府堺市で、給食を食べた小学生らに食中毒が広がった。発症者9523人、死者4人という事態に発展する。 原因は、病原性大腸菌O(オー)157。感染力が強く、数日の潜伏期間を経て、腹痛や下痢などの症状を引き起こす細菌だ。 感染源の特定を急いだ厚生省は中間報告で、給食のカイワレダイコンが原因食材との「可能性も否定できない」と公表した。 だが結局、感染源は特定されず、今も謎のままだ。「お母さーん」悲鳴のような声が 風評被害を抑えようとした菅が、カイワレをほお張る姿が強い印象を残した「O157禍」。 その渦中で、わが子の感染を経験した母親8人の手記を集めた冊子がある。 タイトルは「1996 忘れられぬ夏」。 《「お母さーん」。悲鳴にも似た我が子の叫び声に私は慌ててトイレに駆けつけ言葉を失いました。イチゴをすりつぶしたジャムのようなものが便器についていたのです》 《激痛に顔を歪(ゆが)め体をエビのように折り曲げ息子は痛みに何とか耐えようとしていました》 山中優子(70)=堺市南区=は、この手記集を1年余り後に発行したグループの代表だった。 当時小学1年だった山中の次女も、給食を食べて感染した。 30年前、梅雨が明けたばかりの7月13日。 腹痛を訴えた次女を近くのクリニックで診てもらったが、症状は重くなるばかり。 その夜、別の病院へと向かった。すでに子どもと付き添いの親であふれかえっていた。 「ほかの病院に回して」。医師らの大きな声が飛び交う。 山中の次女は下痢が止まらなくなった。 一緒にトイレの個室に入ると、「もう血だらけでした。真っ赤な血液」。 便器や床に飛び散っていたのは、子どもたちの血便だった。頭によぎった喪服 「いけない。まだ、この子は…」 堺市は13日午前、1本の電話で事態の深刻さを把握する。 市立堺病院(現・市立総合医…この記事は有料記事です。残り1145文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
この記事の続きを読むなら今がお得。初回1カ月無料+Visaギフトカードが当たる▶今すぐ登録
この記事を書いた人小田健司ネットワーク報道本部(大阪・堺支局)|地方行政や町ダネ、裁判など専門・関心分野権力監視、原発、公共事業、ボブ・ディラン関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






