現場から寺下真理加印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
[PR]
7月7日は「七夕・そうめんの日」。夏の風物詩「流しそうめん」を体験したことがありますか。人はなぜ集まってそうめんを流すのか? 歴史的、文化的背景を探ってみました。 白糸のようなそうめんが、水の中を流れる、回る。夏になると各地で話題になる「流しそうめん」。いつ、誰が始めたのか。 そうめん自体は奈良時代に中国から伝わった。小麦粉や米粉を練って縄状にねじった食べ物「索餅(さくべい)」が起源といわれる。江戸時代になると製粉技術が上がり、各地で盛んに生産された。三輪(奈良)、播州(兵庫)、小豆島(香川)、島原(長崎)などが産地として知られるようになり、庶民にも広がった。 水道も冷蔵庫もない時代。江戸後期の薩摩藩には、渓流の清水で冷やして食べた人々の記録が「そうめん流し」という呼び名で残る。大阪の商人・高木善助は文政12(1829)年、鹿児島・慈眼寺の渓谷を訪れ、ここでは夏場、人々がそうめんを「流しひたして酒宴す。よき楽しみなり」と旅行記に書いた。 10年近く後の記録には、上流のそうめんを流す人、下流のすくって食べる人の存在がわかる描写も登場する。講談師の伊東陵舎は天保9(1838)年、「鹿児島風流」に、夏は「そうめん流しとて、水上よりそうめんを流し、下にてすくひ喰」と記した。 これらの史料を研究し論文をまとめた南さつま市の歴史研究者、橋口亘さん(49)は「そうめんを流すだけでなく、酒を飲み、川魚を食べ、宴会をする。現代とあまり変わらない夏のレジャーだったのでは」と話す。 橋口さんによると、鹿児島県内では、慈眼寺に限らず、渓流や冷たい湧き水の豊富な場所で人々が集まって、岩場の清水などにそうめんを流しひたして楽しむ食文化があり、こうした古式ゆかしいそうめん流しは昭和に入ってからも見られたという。 では、竹に水を流して食べる現在の「流しそうめん」はどこから始まったのか。 熊本空港からレンタカーで1時間半ほど走ると、「元祖流しそうめん」の看板を掲げる宮崎県高千穂町の飲食店「千穂の家」に着いた。 店のそばの橋の上に立つと、あの有名な高千穂峡の絶景が広がっていた。切り立った断崖に挟まれた高さ17メートルの「真名井の滝」の背後には、岩場や小川や池、水車小屋の遺構がある。さらに上の岩からは「玉垂(たまだれ)の滝」の湧き水がすだれのように流れている。 千穂の家の会長、佐藤二三男さん(76)は「私が幼い頃、最初のそうめんの店は、この岩場にあったんです」と教えてくれた。新聞記者の書いた記事が…… 二三男さんによると、高千穂…この記事は有料記事です。残り1755文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
この記事の続きを読むなら今がお得。初回1カ月無料+Visaギフトカードが当たる▶今すぐ登録







