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韓国で初の作品集がベストセラーとなった後、文壇の大物からのセクハラ被害を告発し、#MeToo運動の象徴の一人となった詩人がいる。波瀾(はらん)万丈の彼女の生き様と作品を日本でも伝えたいと、在日韓国人の女性が編訳して作品集を出した。2人は韓国現代史の激動のさなか、ソウル大学で出会った。 ショートヘアで長身に黒いコートをなびかせ、さっそうとキャンパスを歩く。丁海玉(チョンヘオク)さん(66)=堺市=の記憶に残る詩人チェ・ヨンミ(崔泳美)さん(64)の姿だ。 丁さんは大阪府立三国丘高校を卒業後、母国に留学し、1980年3月、ソウル大学の人文学部に入学した。 百八十余人の同期生のうち、女子は十数人。その中にチェさんがいた。 韓国は軍事政権下で、在日出身の留学生が情報機関に「北朝鮮の工作員」だとでっちあげられ、訴追される事件が相次いでいた。丁さんと距離を置く学生がいる中、チェさんはすれ違うたびに無邪気な笑顔で声をかけてくれた。 長年軍事独裁を敷いた朴正熙(パクチョンヒ)大統領が79年10月に側近に殺害され、民主化への期待が高まっていた。 学生らのデモが盛んになる中、全斗煥(チョンドゥファン)・国軍保安司令官を中心とする新軍部勢力が80年5月、非常戒厳令を拡大した。光州ではこれに抗議する大勢の学生や市民を軍が殺傷する「光州事件」が起きた。 丁さんが大学に向かうと、閉じられた校門の前に装甲車両が並び、軍人が学生らに銃口を向けて威嚇していた。秋まで休校が続いた。 2年の2学期、チェさんの姿がキャンパスから消えた。デモに加わって警察に拘束され、大学から無期停学処分を受けていた。 丁さんは84年春に大学を卒業し、日本に戻って結婚した。 「ソウルまで行って勉強したのに」と、じくじたる思いを抱えながら、家事や育児に追われた。92年頃から裁判所で韓国語の通訳として働いた。 94年、韓国の友人から「ヨンミが有名になっているよ」と聞いた。 この年に出版されたチェさんの第1詩集「三十歳、宴は終わった」が50万部を超えるベストセラーになっていた。 儒教のなごりで男尊女卑が根強い韓国で、若手の女性詩人が個人の性愛や社会風刺を赤裸々に表現して一躍脚光を浴びた。 母国での同窓生の活躍がまぶしかった。 「うれしい半面、私は何をしているんだろうと複雑な気持ちで眺めていました」 文学への思いが膨らみ、大阪文学学校に通い始めた。在日の詩人、金時鐘さんに師事し、詩や随筆を書いた。 2009年秋、来日するチェさんから知人を介して連絡が入り、横浜で会った。 大学で姿を見なくなって以来の再会。無邪気さに変わりはなかったが、心に何か重いものを抱えているように感じた。 17年、韓国発のニュースに驚いた。 チェさんが自作の詩「怪物」で、先輩の男性詩人から酒席で受けたセクハラ被害を告発した。 ノーベル文学賞候補とも言わ…







