【社説】ハト派の重鎮 河野元衆院議長の政治的遺産が今に問うもの2026年6月11日 19時01分印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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元衆院議長で自民党総裁も務めた河野洋平氏が89歳で死去した。党総裁でありながら首相の座に就くことなく、当時憲政史上最長の2029日間にわたって衆院議長を務めた。ハト派・護憲の精神を体現し、日本の政治・外交に大きな足跡を残した。 1993年、宮沢内閣の官房長官として、慰安婦問題に関する「河野談話」を発表。旧日本軍の関与と強制性を認め、「心からお詫(わ)びと反省」を表明した。保守派の反発や批判の的となる一方、和解に向けたアジア外交の基盤をつくり、高市政権を含む歴代政権で継承されてきた。 戦後50年にあたる95年の「村山談話」にも、連立政権の自民党総裁、副総理兼外相としてかかわった。過去の過ちを直視し、対話に重心を置く姿勢が、日本への国際的な信用を担保し、国益につながるとの大局的判断があった。 中国や韓国などとのアジア外交では、重要なパイプ役を果たした。2009年の政界引退後も、対話による緊張緩和の重要性を説き続けた。6月下旬の訪中に意欲をみせていたが、かなわなかった。中国と積極的に交流 中国との強固な信頼関係を背景に、単に相手におもねるのではなく、こちらの懸念を伝え、相互の利益と地域の安定のために積極的に交流を重ねる。そんな河野氏の外交姿勢は、中国との対立で対話が途絶えているいま、大事な示唆を与えている。 内政では「平成の政治改革」の一方の牽引(けんいん)役を担った。リクルート事件による政治不信で自民党が下野し、その総裁に就任。93年に誕生した非自民連立政権の細川護熙首相とのトップ会談で衆院選挙制度改革を実現させた。ただ、その後の政治の劣化を嘆き、小選挙区制の導入は「大失敗」と述懐している。 もう一つの柱だった企業・団体献金の規制では、5年後の全面禁止を見据えて、政党向け献金の5年後の見直しを打ち出した。ただ、その約束はほごにされ、依然として「政治とカネ」の問題の温床になっている。 今年4月、昨年亡くなった村山富市元首相のお別れの会での式辞で、河野氏は力が幅を利かす国際情勢を「帝国の世に逆戻りしたような感じだ」と憂えた。人々の生活を顧みず、政治とカネの問題など「旧態依然とした政治が頭をもたげ続けている」と国内政治にも厳しい目を向けた。 寛容が失われ、ナショナリズムが国内外で台頭しつつある。河野氏の懐の深い外交・政治の軌跡を振り返り、分断を乗り越える策を真摯(しんし)に模索し続けなければならない。河野洋平氏が死去、89歳 自民党総裁や衆院議長など務める「社説digital」は、朝日新聞朝刊に掲載する社説をいち早くお届けします。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする














