ストーリー経営者志望だった西田陸浮 「英語力ゼロ」からのアメリカンドリーム大宮慎次朗印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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2月23日、アメリカ・アリゾナ州で行われた大リーグのオープン戦。渡米1年目のホワイトソックス、村上宗隆の打席に注目していると、五回、電光掲示板にもう一人の日本人が並んだ。 「NISHIDA」 当時マイナーの2Aに所属していた25歳の西田陸浮(りくう)だった。二塁の守備から出場し、1度打席に立ったが、変化球に空振り三振していた。バックアップ要員としてチームに同行する中で得た出場機会だったという。 「もう全然(ボールが)見えなかったです。はっはっは」。試合後、数人の日本メディアに囲まれ、自然体で取材に応じた。 だが、「メジャーまでの距離感は?」と問うと、西田は言った。「自分はそんなに遠くないと思っている」。それから、わずか3カ月。西田は背番号「51」をつけて大リーグの舞台に立った。 開幕後に3Aに上がり、33試合で打率3割4分7厘の成績を残す。メジャー昇格を果たすと、5月25日のツインズ戦に「9番・右翼手」でデビューした。四回の第2打席で二塁への内野安打を放ち、初安打を記録した。スクイズに巧打、内外野での好守と、スピードあふれるプレーでファンを魅了した。 大阪府枚方市の出身で、宮城・東北高に進んだ。同校はダルビッシュ有(パドレス)ら3人の大リーガーが輩出しているが、彼らと歩みは大きく異なる。日本のプロ野球を経験していない。 高校3年だった2019年夏は宮城大会決勝で敗退し、全国的には無名だった。父と同じ経営者になる勉強をするため、アメリカの大学へスポーツ留学する道を模索。秋ごろ、大学の野球部のセレクションを受けるため、海を渡った。 付き添ったのが、スポーツ留学を支援する「アスリートブランドジャパン」の代表、根本真吾さんだった。 西田が「あのヒットのおかげで今の自分がある」と振り返る一打がある。スポーツPlusスポーツPlusはオリジナル記事を有料会員の方にメールで先行配信するニュースレターです。今回は6月9日配信分をWEB版でお届けします。 初実戦となる紅白戦で、東北…この記事は有料記事です。残り1176文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人大宮慎次朗スポーツ部専門・関心分野野球関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする