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第2章 青い芝の会 その1山中美智子が羊水検査をできなかったのには理由があった。県は障害者団体「青い芝の会」の激しい抗議活動に屈する形で「一切の出生前診断をしない」と76年に約束したのだった。 大きな駅の駅前広場。脳性マヒの男が、車椅子も使わずひざで歩いてカンパを呼びかけている。 募金箱の横には、手書きの看板がかかげてある。「障害者は殺されるのが当然か!」 拡声器で演説をしているが、脳性マヒのためその言葉は極端に聞き取りにくく、普段接している人でなければわからない。「わたしぃーたちはー、あすにでえもー、ころされるかもぉーしれないっ。にんぐえんとしてぇー、じゆうにいきたい。どおかあ、あおいしぃばのかいのうんどおに、ごきゅーりょくくうーださい(私たちは明日にでも殺されるかもしれない。人間として自由に生きたい。どうか『青い芝の会』の運動にご協力ください)」 これは、1972年に公開されたドキュメンタリー映画『さようならCP』の冒頭のシーンで、演説をしているのは、「青い芝の会」の中心人物の一人横田弘である。当時39歳。 後に『ゆきゆきて、神軍』(1987年)や『水俣曼荼羅』(2021年)などの社会派作品を世に知らしめることになる原一男監督の処女作で、当時自主上映会が全国各地でさかんに行われ、「青い芝の会」の運動を大きくするのに貢献した。 私は、最初ネットの配信でみたが、字幕がついていないため、横田をはじめとする「青い芝の会」の脳性マヒの人たちの言葉がまったく聞き取れなかった。 車椅子を健常者に庇護されるものとして拒否し、大きな幹線道路の横断歩道をひざで渡り、早朝のバイパス道路に、全裸で座ってこちらを射るように見る。 新宿の街頭でひざをすりながら、地面に「横田弘 詩」と書いて、自分の舞台をチョークの円で描いて結界をはる。そして詩の朗読を始めるが、何を言っているのかまったくわからない。そのうちに、当局とおぼしき人の声が「保護しますか」と聞こえて、画面は暗転する。 脳性マヒは、出生前後に脳に何らかの損傷をうけて、四肢や言語が不自由になる。それを総称して脳性マヒと言っている。CPは「Cerebral Palsy」の略である。 1950年代までは、脳性マヒの人は表に出ず、家の中に閉じ込められているのが普通だった。それが、街に出て行く。その姿を見た健常者は「どん引き」してしまうのだが、あえてそれをやろうとしたのがこの映画であり、「青い芝の会」の運動でもあった。「青い芝の会」は脳性マヒ者の障害者運動だったが、これまでの障害者運動とはまったく違った。〈彼らが行ったのは強烈な差別糾弾だった。自分たちへの差別を絶対に許さなかった。特に無自覚な差別にはするどく牙をむいた。「障害があって可哀相」という同情や、「障害者のために」という善意の裏側に潜む差別的な意識を、容赦なく、徹底的に糾弾した〉(『差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」』荒井裕樹著) そのグラウンドゼロともいうべき場所が神奈川県立こども医療センターのある神奈川だったのである。■障害児を絞め殺した母親への…