コラム・寄稿チェルノブイリ事故、被災地住民の選択は 次世代が編む私たちの物語印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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福島季評 安東量子さん 福島で原発事故が起きたのは、1986年のチェルノブイリ原発事故からちょうど四半世紀を迎える年だった。それぞれ3月と4月のことだった。避難指示が出された原発近傍の地域では、日本では卒業式のしつらえが、チェルノブイリでは、イースターの準備が、そのままに残されることになった。 チェルノブイリを含む東スラブ文化圏の昔からの風習では、旅に出る前に、家族で自宅の椅子に束(つか)の間腰掛け、道中の無事を祈るという。人びとは、避難の時も、同じように椅子に腰掛け、わが家へ戻ってくることを願った。しかし、その、ごくあたりまえの希望が叶(かな)うことはなかった。立ち入り禁止となったいくつかの集落では、家屋は重機で壊されたのち、地面に掘った溝に埋められ、かつての暮らしの痕跡は、かき消された。 私が、立ち入り禁止区域のすぐ近くにあるベラルーシ南部を訪れたのは、事故から26年後、2012年のことだった。人口が1万数千人の小さな町に着いてすぐに案内されたのは、その地域の名を冠した博物館だった。平屋建て、コンクリートづくりの赤い屋根の建物の外壁はクリーム色に塗られ、まるでおとぎの国の建物のようだ。かわいらしい「博物館」の中は、照明がほとんど点灯しておらず、窓から差し込む陽(ひ)の光が、パステルグリーンの壁を浮かび上がらせていた。入り口を入ってすぐの壁に大きくかけられたパネルには、ベラルーシ語、フランス語、英語で「The Lost Land――失われた土地」とあった。 原発事故によって半分近くの…この記事は有料記事です。残り1593文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






