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Re:Ron特集「動き出す私たち」 草の根の平和活動から、政治家へのロビー活動、ソーシャルビジネスへ。長崎出身で被爆3世の中村涼香さん(25)は、高校時代の平和活動をきっかけに、核や平和の問題に取り組む団体「KNOW NUKES TOKYO」を立ち上げ、被爆地の外へとアクションを広げてきました。現在はNPOでアートやクリエーティブを生かした「移動型の原爆資料館」に力を入れ、若い世代を中心にさらに「外側」に平和や核廃絶について伝えていくことをめざします。NPO法人ボーダレスファウンデーション理事 中村涼香さん(25)生きやすい社会にするにはどうすればいいのか。そんな疑問から現状を変えようと、一歩を踏み出した人たちがいます。Re:Ron特集「動き出す私たち」は、それぞれの原点、実践や葛藤を通して、新しい社会の胎動を伝えます。 16歳のとき、通っていた長崎の高校に平和学習部という部活がありました。メディアに取り上げられたり、海外に行ったり、イケてる先輩たちがいて、「花形の部活に入りたい!」というのが最初の動機でした。 街頭に立っての署名活動、被爆者の方との平和公園での座り込み、修学旅行生の対応……。運動部並みに活動して、どんどんのめり込んでいきました。私自身は被爆3世ですが、被爆者の祖母とはあまり話す機会がなかった。それでも、活動を通して被爆者の方を一人の人間として近くに感じたとき、なぜこの人たちがこんなに痛くて苦しい思いをしなくちゃいけないのか、と社会に対する違和感、怒りに似たような感情があふれてきました。 同時に、平和活動の行き詰まりも感じていました。活動を続けているのはシルバー世代がほとんどで、イベントを開催しても集まるのは同じような顔ぶれ。基本的にボランティアなので、仕事や私生活と並行して、休日を返上してまでやるのは結構タフなこと。そうなると、どうしても中間世代は抜けてしまう。署名活動や社会運動を長年続けていく意味や価値を信じて、それを続けてきた方々へのリスペクトを持ちながら、平和への思いや被爆体験をより広く世界に届けていくにはどうすればいいのか。活動すべき場所や伝えるべき声は、もっと「外側」にあるのではないかという気がしていたのです。■ロビー活動 純粋な疑問を政治家に 大学進学で東京に上京し、いったん活動から距離を置きました。 高校時代、運動部のように活動していたこともあって、反動でキャンパスライフを楽しみたくなったから。自分に対してプレッシャーを負いすぎず、離れて一度客観視できたのは良かったと思う。ただ、その間も、ちょっとした罪悪感みたいなものはありました。 そんななか、大学2年のときにコロナ禍になり、友人に声をかけてもらって再び平和活動に参加することに。ちょうど核兵器禁止条約が国連で採択され、運用していこうというフェーズでした。草の根運動に感じていた限界から政策的に課題に向き合いたい、との思いもあり、2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のパートナー団体として「NO NUKES TOKYO」という団体を立ち上げ、ロビー活動に力を入れるようになりました。 「なぜ日本政府が入れないのか?」「なぜ長崎から選出されている国会議員なのに条約に賛同している人がほとんどいないのか?」といった純粋な疑問を政治家にぶつけながら、解像度を上げていきました。今振り返ると、無知だったからあそこまでできたのかもしれない、とも思います。 大学卒業後も平和活動を続けたい、と思った。自分自身の原点に立ち返ると、被爆者の方々の声や体験を継承し、平和運動をどう持続的に続けていくか、が大事だった。その手段として、ソーシャルビジネスという道を模索し始めました。■資料館自体が移動できないか? たぶん皆どこかで「平和」ということには触れたことがあって、考えてはいる。でも、核兵器を無くすというところまで社会としてエンジンがかからない。 第一線では被爆者も専門家も政治家も頑張っているけれど、この情報がまだまだ外側に届いていないのではないか。ここにある情報を「翻訳」して伝える役割が必要なんじゃないか。 そう考えたとき、広島や長崎…