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広島市の原爆ドームが、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されてから今年で30年。登録に向けた外交交渉では原爆投下国の米国や、第2次世界大戦で日本の侵略を受けた中国が難色を示し、厳しい局面が続いた。両国などと折衝した被爆2世の元外交官が6月、広島市で講演する。一言が目の前を真っ暗にした 忌み嫌った故郷 自分を閉ざした30年 登録当時に外務省文化交流部文化第2課長を務めていた久枝譲治さん(75)=東京都。国の文化財保護審議会が1995年9月に原爆ドームの推薦を決め、外務省が交渉を担うことになった。 久枝さんの母澄子さん(2014年死去)は広島で入市被爆しており、自身は被爆2世だ。「縁を感じると同時に、重荷を背負ったと思った」と振り返る。 日本は92年、世界遺産条約を批准。このころ、登録に向けた運動が広島市で始まった。当初文化庁は慎重だったが、市民が集めた約165万人分の署名が流れを変えた。95年の被爆50年を機に期待は全国に広がり、「登録は当然」という空気が醸成されていた。 しかし、海外の受け止めは異なっていた。「外務省は上を下への騒ぎに」 久枝さんによると、96年に…






